銀の鎧細工通信
目次


2008年05月28日(水) CAGE  (DEEPLIVER続き)


 「そうだ、もう一箇所行きたい場所がありますの。お付き合いいただけますか?」
 
 勿論とふたつ返事で応えたのは、何か計り知れないものを抱えている風である少女を、少し喜ばせることくらいいいだろうと思ったからだ。いざとなれば門限には抱えて走れば余裕で間に合う。こんな夕暮れの中では、あまりにこの少女は儚く見えた。我ながら感傷的だ。
 「で、どちらへ?」
 「あの、お恥ずかしながら場所は存じませんの」
 そよが唇に華奢な手を当て、云い難そうにもじもじとする。こういう楚々とした雰囲気、なかなか娑婆の娘には出せないよなあ、と全蔵はぼんやりと思っては自分の発想のオヤジ臭さに辟易した。
 「真選組の、屯所なのですが」
 楚々とは正反対である、野卑の象徴を口にする。うへえ野犬の檻か、苦手だぜあそこらは、と再度辟易する。
 何を思ってこのお姫様がそんな場所へ?と思わないでもなかったが、高杉の顔を知っていた、あるいはそれ以上の面識すらある様子であったことを思えば何ら不思議なことでもないのだろう。藪を突付けば鬼が出るか野犬が出るか、いずれにせよ全蔵には知ったことではない。
 道々、そよは「全蔵さんがそうしたことを無闇と口にする方と思っているわけではありませんので、ご不快でしたら申し訳ありません。今日のことはどうか内密にお願い致します」と頭を下げた。
 「正直報告にゃ迷うところすよ。でもあいつは何も危害を加えてはこなかったし、その気もなかった。なのでスルーです。・・・屯所は、まあ慰労だとすれば別におかしいことはない・・・どうでしょ」
 さらりと音でもしそうな黒髪がまた頭を下げようとした。止してくださいと制せば、そよは卑屈さのない凛とした声で「感謝します」と心を込めて返すのだった。
 (武家の娘らしい、ってのはこういうののことを云うのかね・・・)
 どれだけお飾りと成り果てていようとも、あの家は矜持を失ってはいないのだろう。それはむしろ不幸なことだと思えた。

 「俺は奴らに顔を見られたくないので、離れて見守らせてもらいますよ」
 そう送り出した背中は細く小さかった。西日の強さに焼け付く影はもっと細い。そよは一度も振り返らず、迷わずに堅牢な門へと歩みを速めた。
 (あーあ・・・)
 麗しの酢昆布姫として顔が売れているものだから、門番の隊士に土下座までされかける始末を見ながら全蔵は三度、辟易する。侍ってのは意味の判らない気苦労を進んで背負う、そう写った。
 そよがそれに屈みこんで何やら声をかけているうちに、鋭敏な全蔵の耳は足音を拾っていた。
 (あーあ・・・まるで土産と親父の帰りを待ち侘びてたガキみてえな足音だ)
 喜色を満面に湛えた真選組局長が全力で走ってきて、そよの前に大柄な身体を滑り込ませた。2人とも屈託のない顔で笑んでいる。そよの歳相応の笑顔に僅かな安堵を覚えるのは、あまりに不釣合いな表情の印象が強かったためだ。何をどうしたら、深窓の姫君があんなにも業の深い顔をすることになるのか。それは考えるまでもなく、彼女が生まれ持って背負った家柄に尽きるのだろう。
 (国を傾けさせるんじゃなく、傾いた国の美少女、ってか。まるで檻だな)
 屯所内に通されたそよを追って全蔵は木々を駆け抜ける影となった。


 「いやあ、まさかわざわざお立ち寄りいただけるとは!云ってくれればお迎えにあがりましたのに」
 「お気遣いなく。突然お邪魔致しまして、・・・丁度近藤さんがいらしてて良かった」
 一番上等の座敷に通され(それでも城内の部屋で云えば圧倒的に狭い部類である)、平隊士の隊服の割には所作に無駄の無さ過ぎる青年が茶を運んでくる。微笑んで礼を述べれば、心地よい笑みで応じられた。そよには、何故こんなにも気のいい彼らが庶民の間でチンピラ警察24時扱いをされているのかが理解しがたい。
 「まあ、美味しい」
 「ははは!いや粗茶でお恥ずかしい。でもさっきの奴は山崎といいまして、自慢じゃァないが大変な料理上手なんです」
 豪快な笑顔に、仲間を想う近藤の人柄が隠しようもなく表れる。ああ、いいな、こういうのは、とてもいい。そよの心が凪ぐ。深い川のほとりでも、絶望しないで済む瞬間。
 「そしてお茶を煎れるのもお上手、素的なことですね」
 この場所は暖かい。
 彼のいる場所は、どうなのだろう。
 気がつけば暗い川の底を覗きかけるのは、彼に会ったせいだ。「如何でしたか、今日は」と近藤に問いかけられ、ひとつ小さく息を吸う。
 「高杉さんに、お会いしました。と云っても、顔を合わせただけです」
 今度は近藤が小さく息を吸った。そして、詰まる。
 「ッ・・・そうでしたか」
 「ふふ。実は私、それに賭けたのですけど、やはり情報というのは洩れるものなのですね」
 近藤が青ざめたり赤面するのが樹上の全蔵の視界に入る。
 (悪いね、聞こえちまうもんは仕方がねぇんだわ)
 「言い訳のしようもありませんな。・・・でも、それを狙っていたのだったら、良かった・・・のかな、あれこんなこと俺が云っちゃ駄目だよな」
 そよの軽やかな、羽のような笑い声が柔らかく鼓膜を揺らす。
 「元気そうでしたか、あいつ」
 こいつも面識があるのか、と意外な思いについ耳を澄ませてしまう。
 「あの方に、元気と云う言葉が当て嵌まるか判りませんけど・・・。
 刀を、わざわざ放して置いて、こちらを見ていました」
 「・・・そうですか」
 「ただ、静かな眼をして」
 あんなにも哀しみと呪いと怒りと呪詛と、それら諸々の渦巻いた眼を静かと感じるなら、それは、それがそよの”静か”な状態と同じであるからだ。それを思うと全蔵はその底の深さにぞっとした。
 
 一体あんたたちは何を見てる?

 
俺も最近は会えていない、桂と派手にやらかした辺りからなかなか摑まえられない、そう近藤は云った。
 「あいつは動き出すことを多分決めたんでしょう。それは、たぶんどうあっても俺とは相容れない類のものです。
 でも・・・そよ姫を直接どうこうしようというものでは、ないようですな・・・」
 「私など、相手にしていないということでしょう」
 あまりにも物騒で、国すら動かしかねない内容のことを何故そんなにも穏やかに哀しげに話し交わすのか。近藤の継いだ句に全蔵は木から滑り落ちそうになった。
 「でも、一度はあなたの命を狙ったんです。それが、変わった」
 「どの道が良かったのかは、私には判りません」
 俺にはお前らの話していることの意味が判らねえよ、と呆れ果てていた全蔵の眼は自動的に人影を捉える。いつからそこにいたのか、先ほど茶を運んできた男が部屋の外に潜んでいた。ふうん、野犬の群れにも鼻の利くのがいるじゃねえか。そう思った矢先に男が全蔵のいる方へ首をめぐらしたので、慌てて気配を殺して他の木に音もなく移る。見られてはいない、けれど何かは察知された。しまったと思う半面で、どこか不穏に騒ぐ血を全蔵は感じている。



 丁寧にそよを送り届け、丁寧に礼を述べられ、丁寧に笑って返し、あまり丁寧ではなく松平に報告を済ませて仕事が終る。
 その足で広大な屋敷へと駆けたのは、騒ぐ血が無性に気にかかるからであった。
 「来たかえ」
 「見えてたか」
 子どもは手を伸ばして雑誌を受け取り、「日暮れ時に見えた」と云った。そよが屯所に行きたいと云った段階でもう予見できるのか、と全蔵は改めて舌を巻く。この子どもも、生まれ持ったものの重さにささやかな日々を圧されている。
 「なあ」
 「何じゃ」
 部屋の隅で猫のように丸くなっている全蔵の、発する質問も見えているのかも知れなかった。あまりに、重い。どうあっても自分の未来など見えてしまうと云った。何処へ行こうと籠の鳥。
 「お前、面識のない奴のことでも見えるか」
 「わしを誰じゃと思うておる。何じゃ、気になるおなごでもおったかえ」
 「まあな。・・・この娘だ」
 ぴっ、と一枚の紙切れを指先で弾く。それは見事な軌跡を描いて阿国の傍らに綺麗に落ちた。
 「その娘、これからどうなる?」
 「・・・」
 雑誌をそっと置くと、もっともらしく写真を眺めやる。政財界にも広く客のいる身である、娘が誰であるのかなど判った上でそれには触れない。
 ふ、と小さく息をつくと淡々と云った。
 「天眼通を使わなくとも判るであろう。苦労するぞ」
 何故だと問えば、「このように暗く激しく、哀しい眼をしておれば判ろう。身のうちに獣を飼っておるぞ。・・・気高い、小さな獣じゃ」そう、写真から顔を上げないままどこか淋しげに応えた。「いずれ、何かやらかそうとする者の目じゃ」とも続けた。沢山の多様な人間を見てきているだけに、その言葉には説得力というものが強く感じられる。
 「死ぬか?」
 「死なぬ。当面な。だが、支えてやる手は多いほうが良い」
 そうしてまた雑誌を小さな膝に乗せた。煎餅食うか、と云ってくるりと全蔵のほうへ向き直る。食う、と応えて手を伸ばす。支える、などとガラでもない。が、より刺激のある面白いほうへと身体が向くのは性だった。
 ご馳走さん、と立ち上がれば、「行くのか」と見上げて寄越す。「さあな」と云ったところでまさしくお見通しなのであろう。向けた背中に「全蔵」と幼い声がかかった。
 「ぬし、・・・・・・ロリコンなのかえ」
 ばっかやろうふざけんなァ冗談じゃねえぞ、と喚けば、
 「静かにせい。早く行ったほうが良いぞ」
 と、雑誌に眼を落としたままシッシッと手を振られる。気をつけてゆけ、と付け足される言葉に全蔵は鼻を鳴らして闇に溶けた。
 
 
 かつての勤務地である。侵入は容易い。少しの変化もない城は、解雇した者たちが悪事を働こうと思ったら幾らでも働けてしまう状態で放置されている。そのことに少しも頓着しない輩が、この国の実権を握っているのだと痛感するには充分すぎた。むしろ「何か」が起こり、あわよくば名実ともに支配権を得ることが狙いなのかも知れなかった。此処はひどく虚しい、張りぼての城。将軍家を囲い込むための立派な檻なのだ。
 見取り図を思い浮かべ、当たりをつけて音もなく疾駆する。見回りなど全蔵にはいないも同然だった。目星をつけた居室に灯明が見える。
 
 「そよ姫」
 驚かせないように細心の注意を払った声と位置から呼びかける。それでもびくりと身を震わせたそよは、すぐさま思い当たったらしく「全蔵さん?」と潜めた声で辺りを見回した。いい耳をしている、と感心しながらするると襖を開け、廊下から顔を覗かせる。
 「どうなさいました」
 室内へと手招いて襖を閉めると、そよはまた小声で問うた。
 「いえね、聞くつもりはなくても俺たちには聞こえちまうもんが世の中には多くてですね。で、
 ・・・今日のことの口止め料としてお願いがあるんすよ」
 少しも悪びれず飄々と口にすれば、そよはかすかに息を呑んで「私に可能な範囲であれば」と真摯な真顔で即答する。それだけのことだ。一級の指名手配犯である高杉と面識があり、かつて命すら狙われたことがあるというのに誰にも報せず、挙句にそんな輩に会う機会を探っているなどということは。膝の上で握った小さな拳が震えている。
 「気の向いた時でいいんで、俺を雇ってください」
 全蔵の言葉にぱちりと瞬く。
 「俺の後輩が側仕えとして城に残ってます。そいつに云ってもらえれば、伺いにあがりますんで。
 ・・・秘密厳守、迅速かつ正確にご希望にお応えしますよ」
 目を見開いた後に、みるみる眉根が苦しげに寄せられる。握り締めすぎた拳はますます白さを増した。
 「・・・そのようなこと、あなたには何の得にもならないのに」
 


 「まあ、気まぐれですよ」
 
 
 


   籠の鳥かと思いきや、実は檻の中で小さな獣を飼っていて、
   それが何をやらかすのか見届けてみるのも悪くないと思っただけ。










 その後、そよが全蔵に依頼した最初の仕事は「真選組隊内で起こったというクーデターと、その際の攘夷志士との大規模な戦闘についての詳細」であった。






NEXT
  

わー。続き物をはじめてしまいました。
前回で屯所まで行かせたかったので、取り敢えずそれだけ書こうと色々考えていたら全ちゃんが跳ね回りました。
ぶっちゃけ阿国ちゃんと境遇似てね?これ。ていうかもう阿国ちゃん出しちゃえばよくね?と・・・欲望に従いました。結果としては満足です。全蔵と阿国ちゃんの話、とても好きなので2人を書けて幸せです。
第三者から見てこの人たちどうなの、ってところも書いておきたかったのでそれも。

山崎を出張らせるつもりはなかったのですが、この後の動乱後の絡みで必要になる感じだったので盗み聞きさせるがままにしました。有能だけどプロには及ばず、というところも書けましたし。でもうちの山崎は相応の修業を積めば忍になれるくらい有能な設定です(笑。

DEEP・・・の続きにするかはさて置き、折角の機会だからと動乱編と近高について考えていたら、もう近高そよに山→土も土→近も絡んできてしまうわ、万斉も出て来ちゃうわ、うっかり万→高みたいなノリになっちゃいそうな勢いだわ(私はあまりそういう風には考えていないので)、もう大人しくしてるのが沖田だけっていう恐ろしい大混戦状態に。
あ、動乱編に関してはそよちゃんはあまり関与できないのですけども。一応情報だけは入るようにしておかないと、将軍家って新聞もニュースも縁がなさそうなんですもの。入っても黒塗り新聞だったりしそうです。
全蔵の仕事というので「動乱はこの後ですよー」という時間軸の設定を配置したかっただけなので、ひとまずそよちゃんと全蔵は次回はお休みの予定・・・です。そんな何人も何人もの思惑まとめて一回に書けないので・・・!(爆。


銀鉄火 |MAILHomePage