銀の鎧細工通信
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2008年05月25日(日) |
DEEP LIVER (近高そよ) |
緑の気配が濃くなった。整然と美しく整えられた城の中では季節ごとに庭が作り変えられ、朽ちた草花は取り去られる。いつでも瑞々しく、生きものとして当然の循環から排除された偽りの自然。お仕着せの季節以外のものを、与えられたことはない。 「お兄さまは?」 側仕えに訊くと、「松平様とお忍びで」と云う。 「そう・・・またなのね」 最近とみに外出の増えた兄を恨めしく思うことはなかった。天守閣から見下していたところで、自らが支配する国の実態など見えはしないのだ。自身の目で確かなものを目にしなければ、自分たちはますます世間から隔離された人形に成り果ててゆく。 (もう、今更だけれど) そう嘆息する一方で、それでもみすみす甘んじているわけにはいかない、とも思う自分をそよは知っている。 (私たちだって、足掻くことを忘れてはいけない) そんなことを考えるたびに、よぎる眼があった。痛みと呪いと哀しみに満ちた、暗い暗い深い川のような隻眼だ。 (きっと偽善だとあなたは嘲笑うでしょう)
(・・・こんな私の想いは)
ひとつ静かに瞬くと、そよはひとつの決心をした。「造られた庭」の中でも、植え込まれた緑は野蛮なまでに生き生きと葉を茂らせていた。
「直々に姫様のお召しとは、さてはこの松平めが昨夜も兄上をお連れしたことへご不満がおありかな」 独特のふてぶてしさがある声音で、歌うように語る。自身の娘と年齢が近いこともあり、この侍はそよをとても大切にしていた。 「まあ。うふふ、何か後ろめたいことでもおありですの?」 「いやいや、姫様に後ろめたいことなんかなぁんにもないですよ。カミサンはともかくね」 そよが自室に呼ぶ際にはいつだって煙管盆を胡座の膝近くに据えさせてあるが、そこで煙草を呑むことは決してない。 天人との外交問題も解決しきらないうちに先代の将軍が没し、その後自分たち兄弟を哀れとも思い、父の様に支えてくれている松平はそよが気安く話すことのできる数少ないひとりであった。 「実はお願いがありますの」 「んん〜?おじさんにできることなら何でもやっちゃうよぅ。うちの栗子なんかもうおねだりもしてくれねぇ」 強面をやにさがらせる姿が微笑ましい。好ましい、とそよは暖かい気持ちで瞳を和ませた。 「私も遊びに連れ出していただきたいのです、いえ夜遊びではなくて」 「えぇっ、姫様も将軍ゲームがやりたいと?」 「いえだからキャバクラではなくて結構ですから」
「・・・隙を見て逃げ出そうなどとも、考えておりませんから」
そよには一度「前科」がある。あのような我儘が何度も通用するものではないと、よく解っていた。信頼する松平の立場を悪くすることは、幕府上層部に根を張る天人に煙たがられている真選組の立場にも波及しかねない。 ぴくりと片眉を上げて松平は顎を撫でた。そよの四肢が緊張で強張る。 「そんな深刻な顔、若い娘がするもんじゃぁねぇよ。 ・・・それっくらいのおねだりに応えられないおじさんだと思ったのかぁ?」 艶やかな黒髪を翻し、勢い込んで顔を上げると、やはり松平も和やかな瞳を向けている。ありがとう、と云った声は震えなかっただろうか。なぁにかわいいおねだりさ、頭を掻いて照れくさそうに応じる松平の姿がぼんやりと滲んだ。
おそらく私たちの間には深い川が流れている。 決して越えられない川、越えようのない川。 決して解り合えない、それぞれの痛み。 長い長い長い時を経れば、いつか海で交わるのだろうか。 それが「赦すこと」ではなくとも。 解り合うことでは、なくても。
町で昼食を摂り、ぶらぶらと買い物をするというコースで落ち着いた段階で、松平は「おじさんと一緒じゃ援助交際と間違えられて同心に呼び止められそうだから」と云った。幕府に敵対する者に面の割れている自分と一緒だと悪目立ちすると思っているのだろう、と兄は云った。そんな短時間で息抜きになるかも解らんが楽しんでこい、とも。そんな二人の優しさは、そよを哀しくもさせるのだった。 誰しも痛みを背負っていて、それは多いとか少ないとか比較できるものではない。それでも自分たちの所為で「痛い」とのた打ち回っている青年に、どこかでまた会えはしないかと思う自分の気持ちは我がことながら理解できない。会おうが会うまいが、自分が何かしてやれることなどないと解っているというのに。 「あ、どうも。護衛の任を恐れ多くも仰せ仕りました、服部全蔵と申します」 「お庭番の方ですね?本日は宜しくお願い致します」 恐れ多くも、と云う割には飄々とした青年は元お庭番衆筆頭とのことだが、どう見ても気のいい兄ちゃんであった。堅苦しい屈強なお付きよりもよほど気安い。本人は「娘の考えてることがさっぱり解らない」とこぼすが、充分年頃の娘の心理に配慮があるとそよは思う。人の気持ちなど、ままならないものだ。 買い物の合間に全蔵は「ちょっと寄っていいすか」とコンビニで何やら雑誌を買う。同じものを2冊も買うのですか?と訊ねたら、知り合いのガキに差し入れなんすよ、と笑った。その笑い方をそよは知っている。松平がそよの頼みを聞き入れたときのものと同質であった。近藤などは度々そういう笑い方をする。 それは、誰か大事に接している者へ向けるものだ。 甘いと云われようとも、そうしたささやかな機微をそよは愛しく思う。ごくたまに近藤と顔を合わせる際に(それも近藤に会いたがっているというそよの気持ちを察して松平がわざわざ取り図ってくれているものだ)、「彼」の近況を訊いた時に近藤が見せる、笑い顔。 (あなただって、大事に想われているのに、やはり、どうしてもあなたはそれを認めてはくれないのですか) 深い川のほとりで、嘆くことと祈ることの違いが時折見えなくなる。だから、そよは小さな想いを掻き集めてはそれを堤防のように重ねる。 (すべてを赦し、受け入れることなど願ってはいないのに) ひとつひとつ、やさしいもの、暖かいものを丁寧に積み重ねて。 (それでもあなたは、ひとりで行くと云うの) 自分の眼も怒りと哀しみと、呪いに満ちているとは、知らないまま。
その時、ほんの僅かだけ全蔵より早くその視線に気がついたのは、そよが「彼」と近い場所に立っていたからかも知れない。深く暗い川のほとり。 道の逆端の茶屋の前で、柱にもたれて煙管を吹かしていた。 息が止まった。心臓が潰れたと思った。会えるとは思っていなかった。
会いに来るとは思っていなかった。
真選組と一部の同心には今回のお忍びを報せてあると松平は云った。だとしたら、そうした過程の中で「彼」がその情報を掴む可能性もあったと云うこと。それに、賭けた。一度で駄目なら何度でも賭けようと思った。顔を会わせられる時まで。 何をするでもなく、佇んでいた。 偶然ではないと判るのは、驚きの表情すらも見せてはいないから。何もしないで、ただ煙管一本を手にして、こちらだけを見ていたから。 そして、 「ちっ、こんな時に」 全蔵が呟いてそよを庇うように構えようとする。 「待ってください、・・・大丈夫」 「え」 「・・・刀を、」 そよの声は詰まった。恐怖からではない。 全蔵が瞬時に眼を動かすと、仕込み刀を腰に差していない。一歩半ほども離れた茶屋の長椅子に立てかけてある。 「・・・! まさか」 なんで、と全蔵は小さく呟いた。超一級の指名手配犯である。同業者の中にも反発する者が多い中、そんな振る舞いは身に降りかかる火の粉の量を判っていないのでもなければ、まるで狂気の沙汰だった。 無防備すぎる、という意味ではない。何かを隠し持っているか、それとも仲間が近くに潜んでいるかの備えはあって当然である。そうではなく、敢えてそうしたパフォーマンスで、よりによって将軍の妹に対して「お前に危害を加える気はない」ということをアピールするということだ。それはつまり「眼中になし」という意味であった。 「・・・私はあくまで、”将軍の妹”でしか、ないですから・・・」 凛とした声に、全蔵が目線だけでそよを見ると、彼女は瞬きもしないでじっと見ていた。その隻眼で痩せぎすの青年だけを、真っ直ぐに顔を上げて見ていた。およそ清楚でたおやかな姫君とは、生涯無縁であると思われるような眼をして見ていた。深く暗く、だのに燃え滾るような、哀しい眼をして。 しばらくそうして見詰め合い、そよは「いきましょう」とだけ告げた。睨み合うように、探り合うように、ただ見詰め合うだけの邂逅だった。 (ああして立っていたのだから、茶屋に寄る振りをすれば歩み寄れた) (側に寄って、何になると云うの)
(かける言葉なんて、ないのに)
隔てる川は、越えられないというのに。
それでも私はあなたに会いたいと思った。
絶望的に川は深いというのに。
それでも、あなたは私に会いに来た。
わざわざ、来た。
「知り合いですか、ってのも変か。・・・将軍家の方って、指名手配犯のチェックとかいちいちしてるとも、思えないんすけど」 「・・・・・・・・・」 繁華街を抜けたところにある橋の上で、全蔵が口を開いた。探るようでも詰問調でもないことに、安堵する。 「なぜですか」顔を向けることは出来なかった。川の流れに目を落とす。 「大丈夫、って云ったから」 別に訊きだそうとしてるとかじゃないですから、嫌だったら云わなくていいです。ただの興味です。と全蔵は続けた。ただ顔を知ってるだけじゃ、お尋ね者相手に「大丈夫」は云わないと思うから、とも。 「・・・・・・・・・」 「手当たり次第の、形振り構わないテロリストって話だったけど、やっぱ見ると聴くとじゃ大違いすね」 明日の天気は晴れらしいすね、と云うのと同じくらいの軽やかな口調で云う。日が傾き始めている。川面が西日を受けて金色の波をたてて輝いた。 「・・・強いて云うなら、川の、こちらと、」 そよが白く細い指先で対岸を指し示した。 「あちらに、いる者どうしです」 「ふうん」 あの人はもう、将軍家自体をどうこうしようという気はないのかも知れない。私たちを、どうかしたところで、この国はもう変わらない。 その考えはおそらく事実で、そよはそれに酷く傷付いた。ましてや自分はその将軍の妹でしかなく、政治的な力を何も持ってはいない。 (相手にならない、と云うのに) 人形になら代わりは幾らでもいる。 (それでもあなたは赦すことはしないのでしょう) それはつまり、自分には何ももうなす術がないと突きつけられることだった。
(私に何も期待をしないくせに、)
(痛いと赦せないと、それだけ喚くあなたは、)
(身勝手だわ。)
橋の下を川は流れてゆく。 私だって、こんな風に橋が架けられると期待しているわけじゃない。 こんな風に、橋の真ん中に立てると思っているわけじゃない。 何かが出来ると思いあがっているわけじゃない。でも、
「服部さん」 「全蔵でいいです。うちの家系は同業者ばっかりだから、苗字だとややこしいんで」 「全蔵さん」 「はい」 「お前なんか相手にしてねーよ、って云われるのって、悔しいものなのですね」 いつだって生まれた時から背負わされた肩書きが重くて重くて仕方がなかったというのに。何よりも先ず付き纏うものが嫌だというのに。 「でも、俺だったらわざわざそんなこと云わないすねぇ。シカトして終わりですよ」 「そういうものですか」 「俺はね。・・・たまにいいトシして、そういう小学生の喧嘩みたいな挑発する奴も、いますけど」 はは、と笑って端の欄干にもたれた。 柔らかさやしなやかさが欲しいと願った。けれど、幾らでも形を変えるはずの水ですら、川と云う枠からは外れられない。離れられない。川の流れの中からは、逃げ出せない。だとしても。 「では、良い方に取りましょう」 同じように欄干に上半身を預け、もたせた手をぶらりぶらりと揺らす。川風が心地よく髪を揺らした。こんなにも伸びやかに自由で、世界は厳しい。 「買うんですか、喧嘩」 「買いません。ただ別のやり方で吃驚はさせたいと思います」 「はは。こりゃ意外と姫様は捻くれ者だ」 「そうでしょうか」 「誉めてます」 たとえば、こんな遣り取りを交わして微笑みあう、この気侭なように見える忍びの者だって、多くのしがらみからは逃れられないのだろう。誰だってそうだ。きっとそうだ。 越えられない、解り合えない、逃れられない、何も出来ない。 だとしても、
私は生きものらしく、 枯れるならば、真っ当に枯れる樹木でありたい。 川のほとりで、きちんと枯れることの出来るもので。 造られた箱庭ごと川に沈むようなのは、 御免だわ。 しっかりと枯れ、そして流れゆく先に、
海はあるのかしら。
ENDor・・・?
お久しぶりでございます・・・・。 例の如く体調崩したり引越したり職探ししたりとあれこれしてました。銀鉄火です。 もう・・・言い訳はすまいよ・・・。しょんもり。
それでも、皆さまの拍手には励まされておりまして、ケツぶったたいていただいております。 今回のも拍手メッセージで近高そよをお褒めくだすった方があったので、よし!書こう!と思い浮かんだものでございます。た、単純・・・! 単純はいいコトだと思います。あれ?何これ作文?
なんとなーくしがらみ少な目・ニュートラルな人の一例として全蔵を出しました。 おうち忍びの名門だし、色々お付き合いとか裏事情などアリアリな気もしますけども。まあ本人の美学が風の様に雲の様に猫の様にだからいいかあ、ということで。動かしやすいし、書いてて気持ちの楽な人です。ていうかそもそも相当好きなんですけども。ええ。あ、肛門が彼を縛る最大のしがらみですね。ヂ、辛いだろうなあ・・・。
銀魂の女性たちは、皆ずっとうだうだうじうじやってることは先ずないので、そよちゃんも今回少しシフトチェンジです。人間やれることしかやれないし、やれる範囲でやりゃいいとか思います。
本当は近藤さんももっと出す予定だったのですが、ちょっと出しどころを掴み損ねてしまいました。 なのでENDorとしてまして、もしかしたら「裏DEEPLIVER」みたいに近高ノリのものを書くかもしれません。 でもそうすると、今度は伊東のことに触れざるを得ない(私は色々自分の中の設定として整理・消化しておかないと気が済まない性質なので)から、ますます話がびよびよと拡大されちゃうぞ。と、いう感じです。
のろのろ更新ですが、いつでもお好きなときに思い出したように遊びに来ていただけたら、それ以上の幸せはございません。
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