銀の鎧細工通信
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2008年09月04日(木) 連なり星 (遙か4 ネタバレ。サザキ千尋+カリガネ呉羽)

  
  行く先なら
  細い指先がいつだって指し示していた。
  もう目指して飛ぶ先も無いと
  空を見上げることを止めたのは、
  ただ、哀しかったから。

  何処に飛んで行こうが、もう
  君に会えない。





  ずっとずっと、君は指し示し続けていてくれたのに、
  見えない振りをしていた。
  見えない振りをしてきた。



  







 「ん?何だ、姫さん。眠くなっちまったか?」
 一人二人と船室へと戻り、大勢で宴をするために船長自ら壁をぶち破って作った大部屋に残っているのは三人だけとなっていた。
 うん・・・と夢うつつで応じる少女へと、愛しげに目を細めると「後で部屋へ送っていくから取り敢えずここで寝てろ」と膝を叩いてみせる。不明瞭な発音で「ありがとう」と云うともそもそとその膝に頭を乗せ、小さく丸くなると少女は直ぐに安らかな寝息をたてはじめた。遠く近く、海鳴りだけが部屋を優しく満たす。
 「・・・やっぱ、傷残っちまったな・・・」
 独り言じみた声音でサザキが呟く。向かいに腰を下ろしている男は一瞬だけその目線の先を追うと、
 「だが、生きている」
 と目を伏せて素っ気無く返事をした。
 毒矢に射られた傷は、多少引き攣れたように千尋の脚に模様を刻んでいる。灯明の灯りが揺れてはほのかな陰影をそこに写しこんだ。
 「全くだな」
 そう云って小さく笑う男こそ、翼を切り落とすという、一族にとって心も身体をも脅かすことをいともあっさりと成そうとしたし、少女は少女で「こんな小さな傷一つでサザキと一緒にいられるなら何でもない」と微笑んだ。そして、彼女にしか成せないことをその華奢な身体に背負っては驚異的な速度で成し遂げ、そうして男のところへとやってきた。
 ちっぽけな脚の傷ひとつが、二人が一緒にいるためにどれだけの障害と苦しみを経たかを静かに物語る。
 サザキの船へやってきた当初、千尋は戦中よりなおか細くやつれており、国を預かるという大役とそれの清算にどれほどの力を尽くしたかを示す姿だった。サザキはそんな千尋に、カリガネの手を借りてあれやこれやと食事を拵えては「まるで親鳥みたいだぜ」と一族の若い衆に笑われていた。
 それら総てを近くで見てきた男、カリガネは目を伏せたままでぽつりと溢す。
 「お前まで、私の二の舞になるかと思った・・・」
 珍しく感情を素直に洩らしたことに驚き、つい「なんだなんだぁ、ビビったのかよ」とサザキは軽口を叩いてしまう。カリガネが黙り込んでむっつりと眉間に皺を寄せたのを見て取ると、悪ぃ、と云い足す。
 毒の矢を射掛けられたことによって変わってしまった自分たちの運命。そうしてカリガネは異種族の娘と出会い、想いを寄せ合い、そのことが愛する女の命を奪った。それをサザキのほうも側で総て見ていた。
 掛け替えのない人の命が奪われるかもしれないというその時、サザキは近くにいた。生きるか死ぬかの決定的な決断を下すことが可能だった。だが、カリガネはその場に居なかった。
 何も出来ないまま、女は死んだ。
 何も判らないまま、一人残された。
 何も出来ないで、ひとり死なせてしまった。

 「ああ。怖ろしかった」
 サザキは撃たれたように顔をカリガネへと向けるが、彼はいつも通りの無表情で酒の杯を眺めている。
 「酔った。風に当たってくる」
 そう云うと返事も待たずにさっさと部屋を出て行ってしまう。並より多少強い程度で、酒は楽しく心地よく酔うものだと嗜むサザキとは違い、幾ら呑んでも顔色一つ変えないカリガネが酔うはずもないことは、サザキには判りきっていることだった。都合が悪くなると黙り、その場を去ってしまうのは昔からの性質だとも、判っている。
 天衣無縫を絵に描いたような自分がこうして真っ当に生き延びてこられたことは、その気難しい無愛想な相棒がいたからこそで、それは相手にしてもそうだと自負している。
 「・・・オレだって、怖かったぜ」
 酒をなめつつ、感じる膝への重みに、その暖かさに、サザキは「まるで奇跡だ!」と叫んで飛び回りたいほどの想いを抱えている。
 初めての本格的な航海の際、千尋は沢山の酒を買い込んだ。宮できっと退屈してる岩長姫に送るのだと。軍の現場責任者は忍人だったが、千尋という全軍統括者が居なくなること、ひいては女王制の廃止に踏み切る際の代替案として立てた民主制には、少しでも多くの識見者が存在することが欠かせなかった。歴戦の勇将の政治力は大きい。あれほど口にしていた楽隠居の日々を先送りにしてでも、千尋の願いを支えてくれようとした人。
 それからしばらくして岩長姫からの礼状が届いた。ああ見えて狭井君も酒は大好きで、二人で実に美味しく頂いた、と記されてあった。国を想えばこそ憎まれ役を買って出た才女も、現状に満足しているとそれは暗に語るようでもあった。手紙を読んで、千尋は少し泣いた。
 「・・・なにが、こわいの・・・?」
 寝惚け眼をして千尋が見上げてくる。「サザキ・・・なにが、こわいの?」と労わるように慰めるように頬へと伸ばされる白い手を取ると、
 「あん?オレは何も云ってないぜ。夢でもみたか、姫さん」
 と笑いかける。
 そうだ。
 こうしてあんたがそばに居て、もうオレには何も怖いものなんかないんだ。
 ここに、こうやって触れられる近さにあんたが、居る。
 捨てさせたものの分以上に幸せを掴まねば、誰にとっても自分自身にとっても格好が付かない。
 何より、自分が許せない。

 じゃ寝所へとお送りしましょうかね、と千尋を抱きかかえて部屋を出ると、船べりに棒立ちになっているカリガネの背中が見えた。
 「まだ居たのか、風邪ひいたりすんなよ?」
 「腹を出して甲板で寝てしまう君とは違う」
 いつものような遣り取りを交わすと、サザキの腕の中で千尋が身じろいだ。
 「ねえ二人とも・・・スピカが見えるよ」
 「すぴか?何だそれ」
 「・・・星か」
 千尋の目の先を見上げてカリガネが呟いた。千尋は指先を高く夜空へ向かって指し示す。
 「そう。あの明るい青白い星・・・こちらの呼び方だと、ええと・・・真珠星かな」
 「ああ、それなら解るぜ。何せ空は海を渡る道しるべだ」
 「あれね、実はふたつの星なの。それは知ってた?」
 ふたつでひとつの呼び名を冠する星のことも、その古い呼び名も、誰に教わったか訊かずとも解る。
 千尋をずっと慈しみ、まさに親鳥のように優しく厳しく、愛し、守り、幸せに生きていくために必要となるであろう教育も、そうではない知識をも、惜しみなく与えてきた穏やかな青年の顔を思い浮かべる。きっと彼は、「千尋が選んで決めたことが俺には大事なんですよ。それで幸せなら、もう何も云うことはない」とでも笑うのだろう。淋しくないはずがないのに。
 「へえ、そいつは・・・って見てもわかんねえな」
 「光の強い方の星を主星って呼んで、静かな方を伴星と呼ぶんですって。ふふ、まるで二人みたいね」
 一緒にしないでくれ、とカリガネが不機嫌な声で即答する。
 「だって、お互いが支え合って、それでバランスを取りながらひとつの光なのよ」
 ふわりと微笑む千尋の無邪気さに毒気を抜かれ、二人は翼を揺らす。
 「はいはい。じゃあな、相棒。明日の朝飯も期待してるぜ」
とサザキは歩き出す。おやすみなさい、カリガネ。と千尋が続けた。
 「ああ。おやすみ」
   



 呉羽の死を知った直後から、サザキは怒り、喚き、泣き、なだめ、時に笑い、時に黙ったまま、カリガネの側に居た。あるいは殴り合いになったことだって少なくはない。
 「余計な世話だ」「君に何が解る」「私のことは放っておけ」、そう怒鳴りつけて尚、カリガネも宮への潜入を提案したサザキを責めたことは一度もなかった。
 そうして何度も何度も同じように秋を繰り返してきた。
 そうやって何年も何年も、同じような秋を繰り返した。
 詮議の席でサザキが「翼を落とせ」と云い放たれ、彼が「かまわない」と即答した時、カリガネは二人が毒矢を受けた時に続いて再び息が止まる思いをした。
 自分こそが矢傷を受けた翼を呪い、この翼がなければ傷を負うことはなかった、そうすれば呉羽に出会うこともなく、彼女が自分のために死ぬこともなかった。そう思い続けてきていた。

 こんな翼などなかったら、
 こんな翼などなくなってしまえば、
 
 君が私のためになど、死ぬことはなかったのに・・・!

 
 こんなものは要らない。

 いっそ翼を切り落とし、そのまま呉羽の後を追えたらと何度も思った。自力では背中から伸びる翼を切り落とすことなど不可能で、それでも試みては傷だらけになった翼の手当てをしたのはいつだってサザキだった。激怒しながらぼろぼろと涙をこぼすという器用な真似をしながら、不器用に包帯を巻いた。何度でもそうした。
 そのサザキが、翼を落とすと?
 自分の翼では意味がないことだと解っていた。それでも「ならば私の翼を切り落とせ、そして息の根を止めろ」と叫びだしそうになった。
 そうして、気付いた。






          翼のせいじゃない





 
 日向の一族にとって、翼を落とすということは命よりも先に誇りを失うこと。誇りなど、愛するものの命に比べたら役にも立たないものだと思っていた。それは今も変わらない。サザキだってそれに近いことを思ったからこそ頷いたのだろうとカリガネは考えている。
 翼のせいじゃない。翼の問題じゃない。
 どれだけ翼を呪っても呉羽は帰ってはこない。
 翼がなければ呉羽には会えなかった、それでも良かった。
 彼女が自分の所為で殺されないのであれば。
 サザキが翼を切られるという瀬戸際で、カリガネは、そういう問題ではないのだ、そもそも翼を落とすことはそんなに容易いことではないし、そうしたって意味などないと、そう気付いた。
 そして、翼を切ったところで、自分は自分を許せないだろう、と。
 何も出来なかった自分を許せないことには変わりがないのだと。

 何かが違っていれば助けられたかもしれないとは今も思う。あの時ああしていたらこうしていたらという後悔も消えはしない。総て手遅れでも、考えずにはいられない、大事な人。
 忘れていた想いを呼び戻したのは、自分をずっと支え続けてきた相棒の大事な人だった。
 『カリガネ。あなたの翼、綺麗ね。私好きだわ』
 忘れてかけていた。あまりに哀しかったから。あまりに、辛かったから。
 あの時、自分は同じように云われて嬉しかったのに。とてもとても、嬉しいと思ったのに。
 途絶えてしまった愛する人の命と、その未来が哀し過ぎて忘れ去ろうとしてしまった。何も忘れられはしないというのに。







 「ねえカリガネ、あなたの翼はとても綺麗ね」


 「私、好きだわ。あなたの翼」


 「カリガネ、大好きよ」
  


 やさしい声は、今も記憶の中で星のように輝いている。 
 もう飛んで目指す未来など、ないと思ってきた。
 あなたなしで。


 あなたなしで
 どこに羽ばたけと云うのか。
 どこを目指せと云うのか。  
  
  

 (呉羽、君に会いたい)
 
 



 (もう、会えない)




 
 飛ぶことはもう怖ろしくない。翼を呪うことは止めた。
 それでも、やはり会いたい。
 それでも、やはり君が好きだ。





 「カリガネ。私はあなたも、あなたの翼も、大好きよ」






 目指す先なら、いつだって君のもとだ。
 どんな星にだって私の翼は高く届くだろう。
 君の愛してくれた翼だ。
 やさしい君の、やさしい声が、いつだって私の未来を示している。

 カリガネは少し微笑むと、星明りに青白く輝く翼をぐんと伸ばし、高く高く舞い上がった。
 随分長いこと使っていなかった翼の節々がきしみをあげ、上空の冷たい空気に息が白くなっても、心の中は暖かかった。
 星空に包まれて、カリガネは明朝の献立を考える。
 君が美味しいと云ってくれたものを、あの少女にも作ってあげようか。せめてもの礼代わりに。


 呉羽、もう会えなくても、
 君が好きだ。



 







 「お、姫さん。窓の外見てみろよ」
 「なあに?」

 「あ・・・!」
 「な、云ったとおりだろ?あいつが、一番高くまで飛べるって」


 「カリガネ・・・」
 「っかー!久々の全力だってのに、なまっちゃいねぇんだな。やっぱ、高く飛ぶのは今もあいつにゃ敵わねぇみたいだ」


 「・・・さすが、オレの相棒?」
 「はは、ご名答。さすがオレ様の相棒だぜ」














 私は、君に出会えて幸せだった。





 会えなくなった今も 
 幸せだ。


 
 











END


イメージというか、インスパイアは、PlasticTreeの「スピカ」。
今カリガネの天秤を4つまで傾けております。
私はサザキと千尋の恋をカリガネに見守っててほしいので(サザキルートだとそうだったので)、サザ千前提のカリ呉です。
なんか、サザキルートのイベントと、カリガネの悲恋は被る出来事があるもんだから、うわー・・・カリガネは見ててすごく辛かったろうなあ、と思いまして。
とっちらかってますが、サザキルートでの「千尋が国をどうしたのか?」っていう自分なりの消化もしてみました。
狭井君が悪いわけじゃないのは解ってるけど、正直辛かったよー。そして皆が残ってるあの国の政治はどうなったのか気になるよー。

あ、ねちねちと銀魂の続き物も考えております。はい。



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