銀の鎧細工通信
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2005年07月17日(日) 雨酒 (近高)


遠雷が轟いて間もなく夕立が街を濡らす。
瀧の様に降りそそいで何もかもを黒く染め上げる。
激しい雨音を聴きながら、いつものように窓枠に腰掛けて外を眺めている。
もう、本当は江戸にいる理由などない。
既に旅籠を何度も変えて、何をするでもなくぶらぶらしているだけだった。
絡まれれば喧嘩は買った。
殺そうとする寸前で、ちらちらとよぎる顔が其れをとどめさせた、そんなことにはもううんざりだった。
迷っている訳ではない。
殺すことに躊躇いなど更々無い。
けれど刃傷での死体が出たらあいつが動く。
あいつに咎める筋合いなどは無い、俺にはもう明日なんて無い、俺には武器しかない。
苦々しい顔で俺に探りを入れざるを得ないあいつの表情を見るのがただ鬱陶しいからだ、そう自分に言い訳をしては刀を止めるのに倦んでいる。
あいつは元々嘘が上手くない、単刀直入に
「お前、人を殺したか?」
と訊いてくるかも知れない。
それに応じる綺麗な気休めなども俺は持ち合わせていない。

「莫迦莫迦しいこった・・・」
ぼそりと小さく声に出しても雨音に掻き消える。

不意に水を跳ね飛ばして走ってくる騒がしい音がするのに目を向けた、黒い隊服。
高杉は舌打ちをした。なんて間の悪い。
「柳屋って旅籠は此処かい」
「あれまあ、真撰組の方じゃありませんか、ええ、ええそうでございます。何かありましたか、まあズブ濡れで」
老女将がうろたえた声を上げている。
ただでさえ武装警察なんかが飛び込んで来たら慌てるというものなのに。
「いや、知り合いが此処に居るんで、ちょっと雨宿りさせて貰おうかとおもってなあ」
「ああそうでしたか、ささ今拭く物をお持ちしますからね、湯でもお使いになりますかね?」
女将のほっとした声音に嫌な笑いが抑えられなかった。
近藤は嘘は吐いていない、けれど世の中から見れば其れは酷い嘘で、幕府への裏切りだ。切腹物の。
「そりゃ有難い!風呂貸してもらおうかな、拭くモンはあがったときでいいですんで!おい!晋助!居るんだろ、風呂はいらねえか!」
階下からの絶叫に高杉は窓枠から転げ落ちた。

「晋助!寝てんのか」
これ以上名前を連呼されてはたまらない、高杉は盛大な舌打ちをして素早く襖から飛び出して階段の手すりから階下の近藤を睨み付けた。
「おう、雨宿りさせてくれや」
ひょいと手を上げて満面の笑みを浮べた。
立てている髪もぺたりと寝てしまい、水が滴っている。
それなのに豪快に笑って云った。
「俺、風呂貸してもらうんだけどよ、お前もどうだ」
「何で俺がてめえと風呂に入らなきゃならねえんだ」
露骨に不機嫌を表してみても近藤は動じない。
「湧きましたよ〜」という女将の声に「あっ、はい!ありがてえ!」と応えてから「いいから降りて来いよ、酒奢ってやる」と手招いて「女将さーん、酒いいっすかねえ、猪口はふたつ、えーと1合でいいや」と高杉の返事も聞かずにこれまた大きなよく通る声で呼びかけている。
「はいよ」とのどかな返事を聞くとくるりと見上げて、またにこりとする。
「ほれ、雨音聴きながら昼風呂、昼酒なんていいじゃねえか」
そのわくわくした様子に、どんどんと不機嫌がどうでもよくなってきてしまう。
(莫迦莫迦しい・・・)
「仕事中じゃねえのか」
手すりに頬杖をついてぼそっと云う。
「あははは!固いこと云うな、だから1合しか頼んでねえよ」
もうこれ以上逆らっているのも疲れてきたのでだらだらと階段を下りる。
真横に立つと雨の匂いが立ち上っている。それは心地のよいものだった。


引き摺られるように風呂場へと向かうと、「お着替え出しましょうか」と声がかけられる、「助かります、多分これ乾かないんで返すの遅くなっちまうと思うんですけど」云いながら近藤は歩きながらスカーフを外して外套を脱ぎはじめた。
「ガキかてめえ!風呂場で脱げ!」
反射的に云い放つと、近藤と女将が顔を見合わせて笑い出す。
「ふふ・・・確かにねえ、お侍さん小さい頃に落ち着きが無いって云われませんでした?」
女将の苦笑に近藤は苦笑いで応える、
「いやあ、今コイツ母ちゃんかと思っちまいましたよ」
酷く苛々して卒倒しそうになったので無言で風呂場へ入って引き戸を勢いよく閉めた。
「じゃあお着替えは置いておきますのでね、お召し物は出しておいて頂ければ干しておきます」「すいませんね、俺客でもないのに」などという遣り取りがなされ、風呂場に入ってくる。
「すまんすまん、お前几帳面な性質なんだよなあ」
苦笑するとぽんと背中を軽く叩いた。
ぽいぽいと脱ぎ終えるとそれを戸の外に放り出し、
「お、酒も用意されてるなあ」
と機嫌の良い声を出すので、むすっとしたまま着流しを手早く脱ぐと慣れた手さばきで軽く畳み、籠に入れる。
とっくりを掴むと高杉は風呂へずかずか入っていった。
雨音が反響してひときわ強い。
風呂の湯の音と、外からの雨音が反響しあって、えもいわれぬ水の音に満ちた空間。

猪口を2つ重ねて手にし、手ぬぐいを片方の肩にかけて背後から「こりゃすげえ振り方だな」と声がする。「これ頼む」と猪口を押し付け、「お前包帯取ってねえぞ」するりと回された手が器用に隻眼の包帯をくるくると巻き取る、近藤からは雨の匂いと雨に濡れた緑の匂いがする。
からりと戸を開けると包帯をそっと置いたようだった。
並んで体を洗う。
「ふうっ」
シャンプーを流して、短髪を後ろに撫で付ける。
くるりと向き直ってまじまじと高杉を眺める、何だと不機嫌に問うと、すいと手が伸ばされて濡れた髪をそっと掻き分ける。
「結構綺麗に塞がってるんだな、傷跡」
「今更なんだよ」
「いや、明るい処で見たこと無かったからよ」
云うと傷跡に口付けた、困惑するほどにそっと、優しく。

高杉の中でどろどろと渦を巻く澱んだ感情が、憎悪に怒り呪詛、それら全てが行き場が無いと暴れてのたうつ。こんなのは困る、迷惑だ、と喚く。

「そんな困った顔しないでくれよ」
云うと立ち上がって浴槽に浸かる。
高杉ももう一度桶で頭から湯をかぶって浴槽に浸かる。
1合だけの酒をちびちびと猪口に注ぐ。
「ほい」
手渡すと「さぼりに乾杯」と云って猪口をかちりと鳴らした。
「は、とんだ局長だな」
へへ、と近藤の笑い声が風呂場の水音に溶け込む。
酒の香りがふわりと心を和らげるので、手足を伸ばして目を閉じる、雨の音、たっぷりと豊かな湯の香りと音、他人の気配。
そんなものをゆっくり実感するなんて何年ぶりだろうか。
もう俺には何も無いと思っているのに。
生き続ける理由なんて復讐しかないのに。
和らぎほどける気持ちを更に呪う、罰するように。

「悪くないだろ」
不意にかけられた声に我に帰る。
何がだ?
俺がこんな風に過ごす事がか?
良いわけが無いだろう、許されるわけが無いだろう。
そんな必要すらも。
感情が混乱する。
だから近藤の側を離れたくて仕方が無いのに離れられない。

「だから、そんな困った顔すんなって」
凛々しい顔の造作ににじむ寛容な優しさと強さ。
「いーもんだろ、昼風呂、昼酒。な、高杉」
にい、と笑うと高杉の猪口に酒を注ぎ足した。

俺には明日なんて無いのに。
俺には武器しかないのに。
こんな。
こんなのは。


毒の様に甘い酒。
違う、俺自身が毒なのだ、ならこれは毒を殺す甘い薬なのか。







END

タイトルは「あまざけ」と読んでくださいな。
乙女高杉でごめんなさい・・・いつもの事ですが・・・。









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