15's eyes
- 2003年08月28日(木) しごとのはなし
あれほど先週はシゴトがいやだと言っていたくせに、
目の前に積まれたシゴトを片づけているうちに、
密かに、
あのシゴトもしよう、
このシゴトもしよう
と次々と次のシゴトを生産している自分に気づいた。
自分はつくづくおたくかもしれないと
思う瞬間は、
授業について振り返って、
明日の授業をつくっている時だ。
だめだめな流し方の方が多いんだけど、
久しぶりに板書なんかもきれいに
まとまって交流もうまくいったときなんて、
めちゃくちゃうれしくて、
またシゴトをしようという気になる。
明日はこうやってああやって
授業をしようって、
喜々としている自分がいて、
そういう自分を客観視すると、
まずいと思う。
シゴト人間じゃぁないのよ。わたくしは。
最近改めて気づいたことだけど、
私が日記を書けないときというのは、
絶対的なシゴトの量にのまれてるときも
あるんだけど、
基本的にシゴトが充実していると、
プライベートな自分が眠っているというか、
書けないらしいの。
日記が。
授業日記みたいなものも
日々書いてるので、
そっちで満足してるらしいの。
あー
こんなにパブリックな自分と
プライベートな自分が両極端で
日々過ごしていて、
これからやってけるのかな?
わかんないなー
相変わらず
答えがでない。
ところで、
思いついた文章はこれくらいにして、
今日日本のあちこちでウェブ日記を書いてる人は
この裁判の結果についての感想めいたことを
書いている人が多いのでは?
小学校をおそってかわいい子供たちを葬った
あの男の死刑判決がでたことについてだ。
裁判官は、被告は著しく偏った性格のため〜
という言葉を使ったようだけど、
この著しく偏った性格を形成したものは、
何が要因なのだろう?
この性格形成を阻止することはできなかったのか?
と小さいものを教育してる者として考えた。
この男を大人にするまでになんとか、
手はうてなかったのか?と
下っぱ教育者ながら思った。
もしも、
私がこういう人物の人格形成に一部分でも
関わってたら、悔やんでも悔やみきれない。
ただでさえ、報道を聞いてるだけで、
やりきれないというのに。
ここまで歪むのには、絶対成長過程で
大きな落とし物をしてるのに違いない。
おそらく生育歴というものが
おおいに関係しているのだ。
遺伝子の組み合わせによって、
もともと社会に適応しにくくて
親が育てにくいなぁと思ったり、
本人自身が、「生きにくい」と感じやすい人間がいることは
間違いない。
でも、多くの人々との関わりと
多くの挫折とあくなき挑戦心とを培ってくことで、
豊かな経験をして、
ガッツある人間は育てていけないの?
この、ガッツあるというのは、
決してスーパーマンのような立派な人ということではなく、
毎日なんとか前向きにを心がけて生きていこう
という意味あいのつもりなんだけど。
私が出会える子供たちはきっと
世の中のほんのほんのほんの一握りだ。
せっかく出会った彼らにどのくらい
伝えられるかわからないけれど、
どんなに悔しくても、
どんなに悲しくても、
どんなにつらくても、
その思いをカミングアウトする大切さは認めるけれど、
そのために、
他人のことを痛めつける人間にはなってほしくない
と伝えていくつもり。
そんなことで、満たされたとは感じてほしくないし、
快楽を感じてはほしくない。
きれいごとだと言われても、
きれいごとを語って実行してゆく強さを持ち合わせた
人になってほしい。
なんか
改めて私がしているシゴトって、
結構人に影響を与えてるシゴトなのかも…
って思った。
やばいよな。自分。
とりあえず、明日の授業をなんとかしよう。