人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年08月20日(金) それに関して非難のことばしか持たない人など、私は知らない

その真面目さが痛ましい。

「頑張りすぎないで下さいね」と伝えずにはいられない人たちがいる。私も大概『真面目』寄りの性格であるが、"完璧"を求めないしいい加減すぎる部分もあるので、何事にも行き詰るほど頑張ったことはない。

だけど、子育てにしろ、介護にしろ、全力投球というか、人生投げ打ってというか、それしか目に入っていない人たちがいて、見ていてつらい。真面目な人は、成果が目に見えにくいものや、効果がすぐに現れないものに対して、弱い。そのうちでるはずこれだけやってるんだから、と、見切りや休みを取ることなく突き進んでしまう。頑張ったら疲れるのは当然のこと。なのに、自分の疲れさえもを忘れようとしたり、ないものとして扱い、気づいたら心に余裕がなくなり。自分を責め、相手を責め、苦しい淵に立っていたりする。

一方、『面倒くさいことは嫌い』『私のできる範囲でやる』という心持ちの人たちも、生きるに当たり最低限のこともしなかったり、やってもできない自分を責めてみたりしていたりもする。周囲から見たら、「やっていない」ので非難の目を向けられるし。

そういう両極端な人たちを見ていると、足して2で割れたらなあ、と常々思う。まあ、「私のやってること、完璧」なんて思っている人もたまにはいて、それはそれでまた危ういところにいる気がしてならないけれど。

奉仕の気持ち、家族だから見る、というのは実は、相手のことも自分のことも客観的に見ることができず、また、感謝の気持ちをもたれにくく、むしろやってもやっても終わらない、永遠の重しだと私は思う。ひとりでやろうったって絶対に無理なのに、『やれて当たり前』『周囲もやっているんだから』という根拠のない思いに突き動かされて、家事、育児・介護、その他の仕事をやろうとするから無理がかかる。

息抜きすることも、大事。保育所の一時預かりを利用したり実家に帰ることも、デイサービスや親類にちょっと見てもらって自分のために外出することも、「薄情」な行いなんてことはない。罪悪感を持つのは仕方がないけれど、罪悪感が生じるからこそ、リフレッシュした後にはやさしく接することができる、自然に頑張ろうという気持ちになれる。自分に鞭打つべき場面なのか、砂糖と与える時期なのか、それを見極められなければ、他人を見るべきではない。

だから、"虐待"としてケースに関わっても、加害者に同情の余地があることは多々あることで。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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