人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年08月19日(木) 相手の生育歴を知らないままに一緒になる恐怖

育児する相手の姿を見てから一緒になるかどうか決められたらいいのに。

恋をしたときはいい人でも、子どもができたり育て始めたら「え」と戸惑うことは多い。

以前にも記したが、子育ては自分がされてきたことを子どもにすることが多い。はっきりした記憶になくても、何となく親と同じことをしている。中には、「自分が親に愛されなかった分私はこの子を愛する」と軌道修正しながら子育てする人もいるが、虐待に至ってしまう人もいる。なにせ、「自分がされてきたこと」はその人の当たり前の生活であり、「愛された記憶がない」のであれば愛し方も分からないのは仕方がないことだ。

育児は怖い。相手の、自分の、知らなかった、さほど気にしていなかった生育歴が、もろに明るみになる。第1子だった人、真ん中の子だった人、末っ子だった人、年子だった人、兄弟が多人数だった人、異性ばかりの中で育った人、母親だけが育ててくれたようなものの人、親でなく祖父母や他人に育てられた人、施設で育った人…人にはいろいろな過去がある。いい経験をした人ばかりではない。虐待まで行かなくとも、どこか価値観が捻る経験をした人は少なくない。自分がしあわせだと他人の不幸に気づきにくくなるし、自分が不幸だと他人はみんなしあわせに見える。

例えば、「今は私手が離せないの分かってよ」ではなく「私が我慢していた欲求を何であんたは素直に出すの。しようとすれば我慢できるものなのに」という"いい子""手のかからない子""親に気を使っていた子"で育った母は、我が子を嫉妬心の入り混じった思いで見る。自分を押し殺さなければ愛されなかった母は、年相応にわがままを言う我が子を、例え1歳や2歳児でも許せない。
そして、そんな自分の過去を思い出した母は、実母を許せなくなり、絶縁する、というケースもよくあることで。余裕のない育児をしている人には支援の手が必要で、特にお金のかからないはずで頼みやすい実家との縁を切ってしまう人は、ますます孤立し、ひとりで自分の過去と向き合いながら育児に取り組まなくてはならない。父が、そんな母を支えるなんてことは、余程の人でないとできない。育児支援だけでもできるかできないかくらい仕事だのなんだので手一杯なところに、母のメンタルヘルスに関われだなんていったって、そんな面倒なことは御免こうむる、といったところであろう。その気持ちも分かるには分かるが。
父も父で、ある父なんかは母に子どもとの公園遊びを頼まれたならば、「俺は小さい頃親に遊んでもらった記憶はないけれどこれだけ育った。だから、こいつも放っておいても大丈夫だ」などと言う始末。嗚呼…そういう結論?

誰かと一緒になる、子どもを見る、ということは簡単なことではない。覚悟をしなければできないが、覚悟をしなければできないとなったら誰もしないであろう。そうなっちゃったから、その道に入る、といった具合。

だから、気づいたときには手遅れ、ということもよくあることで。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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