人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年07月13日(火) 長男の嫁とか次男の嫁とかそういう問題ではなくて

『嫁』って一体…。

学生時代は「日本は高齢化社会」と習ったのだが、気がつけば「高齢社会」になって早数年。
仕事で、母子だけではなくて高齢者の生活相談にも乗っているわけなのだが、嫁と姑・舅の確執の恐ろしさを日々見せ付けられている。何故、嫁はあんなにいびられなくてはいけないのだろうか。人は年を重ねるにつれ、「我慢」ということばから遠く離れるとはじめると、もう駄目だ。更には、「嫁」までもが高齢の域に差し掛かると、目も当てられない嫁姑・嫁舅戦争。どの世代の息子でもやはり、そこには積極的には介入しない。

若い頃から鬼のような嫁ももちろんいる。若い頃からよくできた嫁ももちろんいる。だけど、よくできた嫁を息子にもらっていても、何か人生の中で引っかかるものが姑・舅と嫁との間にあると、押し殺していた感情が年とともに、痴呆症状の出現と相まって放出されることは多い。
若い頃の確執のはじめとしては、「よくできた息子が突然連れてきて結婚すると言い出した」が一番多い理由だろうか。「孫が自分に寄り付かないのも嫁のせい」「嫁が私の金を取る」「私を追い出してうちを乗っ取る気だ」果ては、「あの嫁が来たから自分はこの病気になった」。昔の怒りと今の不安とで年寄りの感情は揺れ動き、攻撃の矢はすべて、「憎き」嫁に行く。

中には、明らかな高齢者虐待ケースもある。けれど、高齢者虐待予備軍のような、加齢とともに出現した言動から起こった家族関係の不和の状況で苦しんでいる人たち人たちはたくさんいる。悲しんでいる嫁、怒っている嫁、たくさんの嫁に私は出会った。

お年よりは大事に、というのは先の人生が短かったせいもあるだろう。けれど、今は定年から大事にしはじめたらゴールが遠すぎる。「お年寄り」というだけでは、大事に扱ってはいけないと思う。「お年寄り」より若い世代が「相手は年寄りだから」と長い時間我慢していたら、それこそ心身がやられてしまいそうだ。今の「お年寄り」は元気だ。あくせく働いていない分、介護者よりもパワーが有り余っているのが多い。それ故、周囲が振り回される。

年を取るにつれ、人は素直になる。感情のままに行動する。だから、「嫁を困らせようと思って」孫の首に手をかける高齢者が出ても不思議ではないのだ。どんなことが嫁と高齢者の間にあったのかは分からない。私はこの事件を知っても驚かなかったのは、そういう理由なのだ。

私も「憎い嫁」のひとりなのかもしれない。「息子を遠くまで連れて行った」という理由で。

義理も含めた親子の関係というものは、難しいものだ。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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