人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年07月11日(日) 今日は昨日のつづき、今日は未来へつづく

分かる人ほど負担がかかるのならば、分かっていても分からないふりをするのは処世術のひとつなのかもしれない。

どこの世界でもそうであろうが、私が一番身をおいて長い医療・福祉機関で思うのは、本当に知識と行動に個人差があるということである。手技の知識と技術、説明と告知の境界と話術、他機関との連携と方法。
保健師として、医療側と市民とを結び付けるのであらば、やはり楽な方法を取りたい。そうすると、つい、いつも分かっている人に連絡してしまう。

私が一番連絡を取る総合病院のスタッフ専用廊下には、「○月の退院までの平均日数×日。目指せ、○日退院!」という目標がでかでかと張られている。私の勤めていた公立病院の事務局にも同じようなものがあった。確かに私も、それを念頭におきながら、看護目標を立てていた。だから、ふじぽんさんのいうことは分かる。だけど、退院してもそれを受け入れるだけの家庭の土台のない人はたくさんいるのだ。そして、その人たちを「よくなってよかったですね」と笑顔で病院から追い出そうとする人たちは少なくないのだ。医師として、看護師として、身体の状態だけを見て「今すぐ退院できます」と告げるその神経が、私には分からない。なぜ、「もうすぐ退院だから、退院後のことをケースワーカーと相談して」「市役所に何か使えるサービスがあるか聞いてきて」の一言を前もって伝えてくれないのか。介護保険サービスは申し込んでもすぐに使えるわけではないし、難しいケースだと転院先だって見つかりにくいし、高齢者施設だって空きなんかないのだ。

そんな総合病院に嫌気が差して、個人院を開いて外来と往診をしている医師が私の受け持ち地区にふたりいる。内科と精神科。一番人々の生活に密着した専門を持っている人たちだ。精神科は、痴呆も扱っているし、45人に1人は精神疾患を持っていて、15人に1人はうつ病、生涯5人に1人精神疾患に罹患する、といわれているこの世の中で、なくてはならない科だ。
自分の目指す"医師"として働きたかったふたりは、滞納で健康保険証が切れていてもこのままでは放っておけないからしばらくは無料で診るから手続きは保健師のほうで関わってくれと言ってくれたり、診察代と薬代をひねり出すのが精一杯な人だからと言えば近くの人の往診時に寄ってくれたりする。お金にならない仕事が多くても、懸命に関わってくれる。

総合病院を飛び出したふたりの医師のようになれとは言わない。だけど、患者というのは"病気を持った生活人"ということを特に地域のことを忘れがちな病院という箱の中で生きる医療従事者には忘れてほしくないのだ。病院から一歩出れば、その人はただの人なのだ。病気にしか興味のない医師や看護師を止めるだけの知識のある誰かの少なさに、時々涙が出る。

そして、「そういう人材がいないのであれば育てればいい」ということを思いついたのは、つい先日のこと。計画はこれから。

いっそ、教育現場に行くことも考えていこうか。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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