人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年07月10日(土) 何のためのプロフェッショナルなのか

同じく"生きる人"としての気持ちを忘れてしまったかのような。

時々、魔が心のどこかを巣食いはじめたように気持ちがささくれ立ったとき、同じ医療福祉従事者として病院職員を羨むこともある。病院に来るものを拒まず、病院から去るものを追わず。気になったとしても、その箱の外までは追えないというか。そこらへん、制限があるのはちゃんと分かっている。だけど、「そっちはそれだからいいわよね」と言いたくなることがあるのだ。医師や看護師の、"患者・元患者を地域へ返す"ということを具体的に考えていないような、その後の生活を分かっていないようなことをされると。先日も総合病院の看護師長相手にサービス導入可否がはっきりするまである人の退院予定日を伸ばすように掛け合ってごねられたとき、「あの人を今このまま自宅に返しても、またそちらに戻ることになりますよ?」と脅しの文句が喉元まででかかった。

私だって、病院職員として働いたことがある。看護師だった。病棟の基本はわかっている。入院していた人が地域に帰ったその後のことを具体的に考えられるスタッフが少ないことは知っている。業務に追われて、その人の住む地のサービスのことまでは調べられないことは知っている。大きな病院だとケースワーカーに退院後のすべてをお任せしていることは知っている。でも、医療従事者だった私でさえも「そんな説明だけでこの人を家に返されたら、私が家族だったら絶対に不安」というような人を不安顔の家族を無視して地域に返そうとされて「しょうがないよね」だなんて大人顔で言うことなんてできない。

プロフェッショナルもいいけれど、相手の立場を考えられなくなったら"いい医療"も"いい看護"もすべてが無になる。


佐々木奎佐 |手紙はこちら私のこと日常茶話 2018/01/22




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