人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年06月14日(月) 佐々木(仮)家の人々 〜 それでも母を好きな理由

例え母が、幼少時の私の心に傷を負わせたとしても、それをカバーするだけの愛もあった。

以前日記に、私の父母が喧嘩をすると、母が妹だけを連れて家出してしまった、ということを書いた。私にはそれが、結構深い傷になっていたのだが、今日になりふと、そんな傷を負わされながらもなお私が母を好きな理由というのを思い出した。同僚から「あれ、片頬腫れてない?」と心配されたことから。

私の両頬の膨らみは、よく見ると左右不均衡である。そりゃ、左右対称という顔の造作の人はまれだろうが、私の場合、生来のものに合わせて、幼い頃転んで打った後遺症としての軽い不均衡がある。幼稚園に行っていた頃だと思う。家の近くの広場で幼馴染の女の子たちを追いかけているうち、その頃から注意散漫だった私は砂の上で転び、片頬を石だかコンクリだかに強く打ちつけた上植木に突っ込んだ。歯も頬骨も折らなかったが、みるみるうちに強く腫れ上がってきた。当時のことを語る母は、「あれは尋常じゃない膨れ方だった」と表現する。

そのときの母の登場を覚えていない。ただ、半狂乱でわき目もふらず、怪我した私を抱っこして走る母の姿が突然記憶に起こる。それが、まだ幼い頃の私が母の話を聞いて想像したその映像なのか、実際の私が見た記憶なのかは定かではない。十分に歩いていける距離だけれど、走ると結構ある距離にあるかかりつけ医院に、母は懸命に走ってくれた。ものすごく、心配そうな顔で。

それだけで、私の傷への十分なケアになったのだ。人間関係の中で負ったひとつひとつの傷だけを追えば、それはそれで傷ついた記憶はなくならない。だけど、それをカヴァーするだけの出来事が、どこかにちゃんとあったのだ。

だから、いいのだ。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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