人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2004年05月18日(火) |
一度きりの人生をどう生きるのかはその人次第 |
親は子どもがいくつになるまで"親の責任"を負わなければならないのだろうか。
10代半ばの子どもが妊娠中、病院に一度もいかずに子どもを生んでしまったり。20代の子どもが、生んだ子どもを年老いた両親に預けて姿をくらましたり。30過ぎた子どもの、複数のサラ金会社での多額の借金の返済を親が負担したり。50を過ぎた家庭内暴力を振るう病気がちな子どもの面倒を自分の年金から見たり。
私がこの中で親が親らしく子どもを守っていいと思うのは、10代だけだ。子どもがある程度の年齢に達したときを境に、親自身の人生と線を引いてかまわないと思う。引かないと、子どもはいつまでも甘えるし、自分のことなのに尻ぬぐいは他人任せだなんて親が亡くなったときにその子自身が困ることになる。
自分が生んだ子だから責任取らないと、なんて、育て方に何かそういう風に育ってしまうような、思い当たる節があっての償い的なものであれば私も止めたりしない。だけど、そうでないのならば、少しずつ距離をとらないと、親自身の行き場がなくなってしまうと思う。毎日子どものことを思い、食は細くなるわ、眠れないわ、大きなきっかけはなくともさめざめ泣いて、人によっては精神疾患発症。
あのね、子どもの人生にしあわせを願う気持ちは分かるけど、親の人生を犠牲にしたら、意味がないんだよ。自分が大変な中、子どもがしあわせだからよかったなんて心から喜べる人、誰もいないんだよ。そんなの、苦しいだけだよ。 何人の人に、何度、そのせりふを口にしたことか。言えば、いつもいつも、泣かれる。そんなこと分かっちゃいるけど考え方は変えられないし私は親だし、だけど他人にそうでも言ってもらわないと少しも楽になれないし、という複雑な心境になるから、泣くのかもしれない。
まあ、いくつになっても子どもは子ども、という親の気持ちは、子どものいない私でも、分からないでもないのだけれど。
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