人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年10月24日(金) あなたがどれだけ"できた人"であるのか、私は知らない

ライトは、一方向から当てるものではない。

人を責めるという行為は、きっと、そんなことを自分は絶対にしない、という自信のもとに行われているのだろう。もしくは、ひとつの同じ経験をしたとき自分はしなかった、と。その自信のありかは、どこから来るのか、私は問いたい。"しなかった"ら、何を言ってもいいのか?

ネット上で意見交換が行われるのはよいことだと思う。自己主張をするのもいいと思う。だけど、今まで私は、他者の文章を読んでこの人の言っていることを激しく非難したい、反論したい、と思ったことはなかった。昨日まで。

幼児虐待の末、自分の子どもを殺した交際相手の若い男をかばった女性がいた。女性は男性が日常的に子どもに暴力を振るっていたことを知っていて、止めなかったらしい。その挙句の、死。
だから、どのコメンテーターも子どもの生命を優先しなかった女性を非難し、亡くなった幼子を気の毒がった。個人のWeb日記でも、痛ましい事件、信じられない母親、かわいそうな子ども、と、どれもこれも、一方的な見方だった。その、一方的さが私には気になっていた。
そして、中でも、この事件について記された某氏の子育て論にまで発展した日記を読んだとき、私は一気に憤った。

私には、自分が子どもを生んだとき、虐待などしないという自信など、まったくない。それは、私の性格ゆえとかそういう問題ではなく、実際に虐待してしまいそうとおびえていたり、もう実際に自覚・無自覚に関わらず虐待してしまった親たちと出会ってから、感じたものである。まさに、一寸先は闇なのだ。

乳幼児に関わらず、恋人間・夫婦間暴力、高齢者虐待、障害者虐待。あらゆるところに弱者を傷つける行為は転がっている。そこで、いつ自分が被害者になるか、加害者になるか、誰にも分からない。身体的虐待、精神的虐待、養育の怠慢・放棄、性的虐待、経済搾取…身体に見える傷だけが虐待ではない。無視すること、身の安全の確保をしないことだって、加害である。
私だって、気づいていないところで、誰かを傷つけていることはあると思う。意図的に明確な意思で誰かを傷つけたいと思うことだってある。

今回の事件では、確かに亡くなった子どもはかわいそうだと思う。だけど、だからといって正義ということば、理想という現実を忘れた思いを振りかざして女性を責める行為は、女性を傷つけるということなのだ。責めるということは、加害しているということなのだ。

この女性の背景に何があったのか、私は知らない。だけど、人が非人道的と呼ばれる暗い淵に落ちるのには、何かきっかけがあったに違いないのだ。一番考えられるのは、女性自身が被虐待者であったかもしれないということ。もしくは、子育てをひとりで頑張った過去があるからこそ、それから逃げ出したかったのかもしれないということ、だから男の存在を優先したということも考えられる。

被虐待者の様子から虐待を発見するということは、加害者の"助けて欲しい"という悲鳴を聞くということなのだ。虐待したくて虐待している人など、いないのだ。
だから、某氏の母を責めるその強い言い切り方が、私の感にひどく触ったことを、伝えるべきかを迷い、そして。

憂鬱な気持ちになった。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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