人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2003年10月09日(木) |
背中に見えるのは翼なのか枷なのか |
単なる母子問題では終わらないような。
愛されて育った記憶の希薄な人や周囲過干渉で育った人など、アンバランスな生育歴のある人が親になると、大抵家族機能はうまくいかなくなる。 夫婦そろってというケースもあるけれど、やはりどちらかがうまく役割を担えなければ家族機能は成り立っていかない。
子どもとどうやって遊んでいいのか分からない、というのは注意すべきことばだ。はじめての子で、しかも乳児であればまだしょうがないとは思う。しかし、歩き始めたりことばを口にしだした子どもとの接触がうまくいかないというのは、その人が幼少期どんな生活を送っていたのかがポイントになる。
はっきりした記憶がなくても、うまく遊んでもらったことのある人というのは自分の経験と同じことを子どもに返すことが多い。けれど、遊んでもらった経験の少ない人は、やはり何もかもが初心者であるし、むしろ、過去の"傷ついた"自分をどう扱っていくのかが問題になる。
意識的に子どもと遊ぶポイントを掴み、自分がされたかったのにされなかったことを子どもに返すか、もしくは、過去の自分と子どもを重ね合わせて自分と同じ経験を与えてしまうか。
相談にのっている最中、3児の母を泣かせてしまった。子どもをどう扱ったらよいのかわからないままに生み続けてしまい、子どもの自我が芽生え始めたのと同時に子育てがうまくいかなくなったと、そのせいで夫婦仲もうまくいかなくなったと、徐々に自分のことさえもがわからなくなったと、話しているうちに感情が高ぶったのか泣き始め、「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返しか細い声で私に謝りながら、ハンカチを握り締めていた。
保育がうまくできていないと、母を一概に責めることはできない。何かを背景に持ちながら人は生きている。その何かの重さにより、コミュニケーションは変化してくる。
今までひとりでつらかったねと、頑張ってきたんだねと、ひたすら労いのことばをかける。
これからが、彼女にとって先の見えない、長い道の始まりになる。
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