人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2003年06月30日(月) |
こころのことばをおとにかえて |
すっかりと、慣れてしまった。
元々、人に話をするのが嫌いではない。自分のことを話すことが、あまり苦にならない。 この人は秘密を守ってくれる人、と感じ取ったら、何でも話してしまう。
虐待ケースに絡むことが多くなり、私は度々パニックを起こすようになった。パニックといっても、病的なものではない。ただ、普段の自分とは違うな、という感じのごく小さいものだ。 家事が思うように進まないだけの話だ。仕事にやりがいを感じられないだけの話だ。趣味にやる気が出せないだけの話だ。ただ、それらにちょっとした焦燥感と無気力感を伴うだけのことで。
仕事柄もあり、臨床心理士や精神科医と話をする機会が増えた。ケース連絡やケース相談でうかがうほか、自分のパニックを打ち明けることも出てきた。私の場合、大抵1回の相談ですっきりしてしまう。次に先生に会うときには、「この間はどうも〜無事解決しました〜」と笑顔になっている。
臨床心理士にしても精神科医にしても、なんて話が上手なんだろうと思う。やさしい、とはまた違う、やわらかな物言い。そういう解釈もあるのか、というほど柔軟な対応。 話をしながら、話術を少しずつ盗む余裕もあるにはある。先生の話術に、泣かされることも多々あるから、なかなか技を磨く暇がないのだけれど。
「佐々木さんだから、いいのかもね」 と、ある虐待ケースについて相談しているとき、精神科医は言った。そのたったひと言で、私は泣き出してしまった。 重い話を私に聞かせないで、だけど私以外誰が彼女の声を聞けるの、といつも揺れ動く心を、先生はうまく掴んでしまった。たったひと言で、誰かを救えることはできることを、実感させられた瞬間だった。
ことばは怖い。たったひとつの言葉で、傷つけることもしあわせにすることもできる。不信感を抱かせることも、信頼を得ることもできる。
何を望みながら音にするのかは、自分次第。
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