人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2003年06月12日(木) |
"我が子だからかわいい"という幻想 |
赤の他人も親も友人も恋人も伴侶も子も、所詮は"他者"なのだ。
40週前後、ずっとずっと一緒にいるイキモノ。つわりだの乳房の張りだの、腰や下腹の張りや重みだの、頻尿だの便秘だの、あっちこっちの皮膚や内臓が引っ張られたり、痔だの息苦しさだの、そういうのを引き起こされながらもひとつひとつを乗り越えて、下手をすると自分の命とも引き換えにしてまでオンナノヒトは生命を体外に出す。
時に身の内の他者の存在に違和感と畏怖感を覚えたり、かと思えば一見奇異なほど非常に強い愛着を示したり、生きているのか死んでいるのか五体満足で産めるのか不安になったり、ささいなことに敏感になって突然涙が出てしまったり。非常にデリケートで扱いにくい時期もあったり。 だけど、何があっても一緒にいる存在。それを、母はどういう存在として捕らえるんだろう?
身の内に宿った生命をかわいいと思えなくても、生んだ後にかわいいと思えなくても、それは、自分の自然な反応として認めていい。「腹を痛めて産んだ子なんだからかわいいはずだ」なんて、自分に言い聞かせなくていい。偽らなくていい。
人と人とが合わないように、母と児でも合わないことがあるのだ。血なんて関係ない。親子だからどうとか、そういう問題ではない。自分の性格と特性と我が子のそれがどういうタイプかを知って、合わないことを認め、そこから合わないなりにどうして行くかが、大事なのだ。
我慢することは、ないのだ。
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