人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年04月22日(火) 手の届く範囲にいながらも、永遠に片想い

私たちの存在意義とは。

病院勤めの看護師友だちが、「また戻ってくると分かっている人を見送るのはつらい」と言った。
再発する疾病というのは少なくない。再発すると分かっていても、退院させなければならない時期はある。だけど、病院の玄関先で、病院スタッフと患者、もしくは元患者が「またね」とは言ってはいけない。本当なら、病院という狭い空間の中で出会わないほうがよいのだから。でも、患者と病院スタッフとして出会ったことに意味はなかったとは言わない。
そう、彼女は言った。

同じ分野の職業従事者とはいえ、私の仕事は、どちらかというと、生活に関わるものだ。病院で生涯すべて過ごす人はほとんどいない。人生の少しの間、入院するだけだ。入院は非日常。私は人様の日常生活にもぐりこむ。
だから、病院に行くのであれば「いってらっしゃい」、病院から帰ってきたら「お帰りなさい」だ。

人様の生活事情に寄り添うって大変だ。私のような独身小娘でも、夫婦の性生活を一緒に悩まなくてはならないし、嫁姑問題にお付き合いしなければならないし、明治・大正生まれの人生の大先輩方を支えなくてはならない。
経済問題、疾患問題、家族関係問題など、人はそれぞれの家の事情を抱えている。聞けば聞くほど胸が詰まる話も多くて、その場限りのものならばまだいいのだけれど、必要あればその後問題が解決するまでずっとずっと付き合っていかなければならない。また、そういうお宅ほど重い話が多くて、最初は聞くだけでいっぱいいっぱいだ。聞くことで関係が作られて、関係が作られたら支援していくことができるとはいえ、ときに逃げ出したくなることもある。

どん詰まりな人生だなんて、楽しみが見つけられない人生だなんて、そう表情のない顔で、抑揚のない声で言わないで。そう言える相手がいるだけ、あなたはしあわせだと思うから。

仕事以上の意識で付き合っている人もいる。支援者のいない、孤立した人たち。
同情と言われてもいい。そういう人には、心配あれば業務時間内で、いつだっていくらだって会いに行く。何があっても、問題が改善すれば、解決すれば、私は必要のなくなる人間なのだから、そのときだけは、ありったけの思いを注いであげたいと思う。

出会ったあなたをひとりにはしないと、そう誓う。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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