一度だけの人生に
ひろ



 罪悪

「感覚だけの人間は、悪鬼に似てゐる。
どうしても倫理の訓練は必要である。」

太宰治『純真』


罪とか悪とかは
人間の作った概念だろうと思う。
そう考えると、自然状態の、
太宰の言う「倫理の訓練」を全くしていない人間は
罪とか悪とか言う概念がないわけです。
これはとても不思議で、不気味にも思えます。

少なくとも僕にとっては
罪悪感と言う感覚はとっても重要なもので、
重荷であり、生きていく上でもっとも苦しいものです。
なのにこの価値観、概念は人から教えられたものであって、
もともとの僕には
そんな感覚や思考はなかったと言うのですから・・・。

そんな、誰かから教えられた概念・価値観が
どうして個人の中でこんなにまで大きな部分を
占めることになるのか、不思議です。

罪の意識の重さに耐え切れず、
自殺する人だっているでしょう。
でも罪の意識と言うのはもともとは、僕らは
持っていないのです。

罪と言う意識を持っているのは
おそらく人間だけでしょう。
まぁ中には持っていない人もいるかもしれませんが、
他の動物に「罪」と言う意識があると言うのは
考えられません。

獣は戯れに他の動物を殺すことが
あるようですし、同種の個体を殺すこともあるでしょう。
でもだからと言って、トラやライオンが
罪の意識から自殺するとは考えられませんし、
ストレスを感じているとも思えません。
まぁ自殺なんてするのは人間だけですけれどね。

「知ってるか?人間は自殺する珍しい動物なんだぜ」
                  by『寄生獣』

じゃあどうして、人間は
罪の意識を持ち、そしてその罪の意識を
それほどまでに重要な価値観としているのでしょうか。

すぐに思いつくのは、
罪に対する「罰」の存在。
ようするに「罰」と言うことに対する怖れが
罪を大きな重荷として人に
認識させているのではないかと言うことです。
でも、誰からも罰せられる心配がなくても、
罪の意識に悩む人はいるだろうし、むしろ
そちらのほうが多いのではないかと言う気もします。
殺人を犯し、捕まらずに時効まで逃げ切った犯人が、
時効を迎えた後は、何の憂いもなしに
明るく朗らかに生活していけるとはとても思えません。
そういう人もいるのかもしれませんけどね。

いずれにしても「罰」がなくても
罪の意識に悩み、重荷としていく人は大勢いるわけです。

自分で言うと何だけど、(本当になんだけど)
僕も罪の意識、悪いことをしていると言う意識、
人に迷惑をかけていると言う意識に、
少なからず悩まされている人間です。
でも僕が僕の罪として感じていることを
(↑こんな書き方はキザったらしくていやだけれど)
他人に打ち明けてみても、誰も僕を責めてくれませんし、
罰しようともしません。
僕が「悪いこと」として感じていることは
みんなやっていることで、特にそれが悪いとは
思っていないようです。
一方、僕はそれが「みんなやっていること」で、
「みんなは悪いとは思っていない」と言うことを
知っても、まだ一人、罪の意識
「悪いことをした」「嫌な思いをさせた」と言う
思いに、相も変わらずかられているのです。

罪悪感・罪の意識と言うのはどこから来たのだろう。
そして、僕とみんなの違い、人を殺して平然としている人と
僕らの違いは一体どこから来たのだろう。

そんなことを卒論で書いてみようかしらと
思ったり・・・どうしようかな・・・。

2003年04月03日(木)
初日 最新 目次 MAIL