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■ 10歳まで
僕ら家族は僕が六歳、 小学校一年生の一学期の時に、引っ越しをした。 引っ越したところは、 元住んでいたところから、 車で30分くらいの、そこよりも多少都会の街だった。 都会と言っても、ド田舎と田舎の差みたいなもので、 どちらも田舎であることには変わりがなかったが・・・。
その家に引っ越してきて、 母はあまり派手に僕を折檻しなくなった。 と言うのも前の、いわゆる「ド田舎」では 隣の家の子どもが深夜に外で泣き叫んでいようが 何をしようが、他の家のことには干渉しないと言う 慣習と言うか常識というか、そんなものが強かったが、 引っ越してきた「田舎」では、 隣の家の子どもが深夜に外で泣き叫んでいたら、 「どうしたの?」と言うくらいの人情があったからだ。 引っ越した家でも、数回は外に出されたことがあったが、 さすがに毎日のように続くので、ある日隣家の老夫婦が 「子どもにそんなことをするものじゃない」 っと母に注意し、さしもの母も世間体のためか 深夜に外に引きずり出すことはしなくなった。
それ以降、母の僕への罰は 基本的に「平手打ち」となった。
入学したての小学校を 一学期で転校することになった僕は、 転校先で「転校生のくせに」と言うお決まりの 差別を、例に漏れずうけることになった。 小学校三年生くらいまでは「転校生のくせに」を 言われたような気がする。このころに僕は あまり同級生と遊んだ記憶がないのも、 そのせいがあるのだろうと思う。 近所の上級生とばかり遊んでいた。 上級生というのはあまりそんなことを気にしないものだ。 そして、今後小中学校を通して、 僕は先輩から可愛がられ、同級・下級生からは 嫌われると言うことになる。
小学校に入ると、 母は僕に「勉強、勉強」と言うようになった。 夜10時くらいまで、僕の横で勉強を【教えていた】 一度間違えれば、一度叩かれる。 母の怒声を浴び、平手打ちをくらい、 僕は怖くて、辛くて、涙をポタポタ落としながら ひらがなや漢字の書き取りをしていた。 泣いたから、もっと叩かれた。 涙でノートを汚したから、もっと叩かれた。
父はそれほど変わりはしなかったけれども、 突然、烈火の如く怒りだすので怖かった。 母は、それでも、なぜ怒るのか分かったから、 (つまり漢字の書き取りが出来ないとか ご飯をごぼしたとか) そんなに怖ろしくも無かったけれども、 父は子供心には理解の出来ない理由で怒り出し 母も誰も、手のつけようもないほど怒るので 本当に怖かった。 父は怒ると必ず僕に「あやまれ!」と言うのだった。 要領の良い姉などはすぐに「ごめんなさい」と謝るのだけれど、 僕はどうしても自分が悪いとは思えないこともあり、 また、「ごめんなさい」と言うことも怖ろしく、 なかなか声が出ずに、ずっと黙ったままで、なお父を怒らせた。
学校のことでもう一つ。 僕が小学校三年生の時の担任の先生が 昔気質の頭の固い先生で、その人は習字を 教えるのが専門?のような先生で、 多分段位なんかも持っていたのだと思うけれども・・・。 その先生が、ある日突然、僕の家を尋ねてきた。 母と僕と二人して話しを聞くには、 「ひろおくんは左利きですね。 左利きはよくありません。今のうちに右に直して下さい。 左は何をするのにも良くはありませんから。」 と言うことだった。 子供心にも、すごくイヤだった。 自分が何か、酷く劣った人間みたいに言われて、 そんな気がして、イヤだった・・・。
だいたいこんなところが小学校四年まで、 5歳から10歳までの僕の人生です。
2003年02月13日(木)
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