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■ 12歳まで
家庭での両親の暴力が、 あまり目立たなくなってきた小学五年生になったころ、 僕のクラスで、イヤな「遊び」が始まった。 イジメである。
田舎の学校で、しかも大きな小学校が 割合近くにある、学校だったので、 生徒数が少なく、特に僕の代は少なく、 一クラスしかなかった。 その一クラスしかないところで、 イジメである。あれは地獄だった。 イジメの理由なんて、どこでも同じで、 「何でも良い」のである。 特に僕の経験したイジメは、やっている方は 「遊び」の感覚が強かったと思う。 クラスの有力な男子グループが、 男子でも女子でも良いから一人に 目を付けるのである。 「あいつをハブにする。」 (ハブというのは「はぶく」から来たらしい) と言うことになれば、次の日から クラスの全員がそいつと一切口をきかないのである。 無視。完全な無視。 クラスの全員、一糸乱れぬ完全な無視。 そのいわゆる「ハブ」された奴が、 それでもしつこく食い下がれば、よってたかって バカにするのである。
僕は当初、実はその「有力グループ」の一人だった。 だから僕はイジメていた方でもあったのだ。 しかし小学校五年のある日、僕はその 有力グループのリーダー的存在の男子にたてついた。 そして、次の日から僕はハブかれた。 特に僕の場合は他の奴らと違って、 「たてついた」ことから、イジメは酷かった。 話しかけても、もちろん一切無視。 どんなことでも仲間はずれ。 体育の時間にはバスケなどのどさくさで 殴られたり、蹴られたり、ボールをぶつけられたり・・・。 悪いことに僕は5年生、6年生の時の担任に、 酷く嫌われていたのである。
僕は今まで「良い先生」と言う人種には会ったことが 無いけれども、中でもこの先生は酷かった。 今思っても最低である。とにかく、とびぬけていた。 クラス一丸のイジメですから、当然僕が 今までいじめてきた人も、今度は僕をいじめる側に なるのです。さすがに僕もそれはどうしても 許せず、そいつらと殴り合いの喧嘩・・・と言っても 小学生の喧嘩ですからとっくみあいですが、 喧嘩をすることがありましたが、 そう言うときは決まって、僕だけが怒られるのでした。 「お前はいつもみんなに迷惑をかけるんだな」 と言われ、イジメにも気づいているはずなのに、 一切何もしませんでした。 いえ、むしろ僕はこの先生にもいじめられていたのです。 とにかく僕のやることなすこと一切をけなす人でした。 僕が将来「警察官になりたい」と言ったときも 「へっ笑っちゃうね。お前みたいな奴がなれるわけないじゃん」 と平気な顔で言うのですから・・・。 この先生には、後に、再び会うことになります。 それは僕が市内で唯一の進学校である高校に合格が決まったあとで、 友人達と小学校で待ち合わせをしていた時に、 その教師が偶然、車で小学校に入ってきたのでした。 僕の友人(実はこいつをあまり「友人」とは呼びたくない)が 「ひろおはM高校に行くんだよ。凄いでしょ?」っと その教師に言ったのです。M高校には僕の中学では 一年に五人くらいしか行かないので、まぁ出来の良い奴が 行くところと言うことになるのです。 あくまで田舎レベルのことですが・・・。 そうしたらその教師は 「はっ?お前なんかが、一体何しに行くんだ?」 と言いました。 さすがに僕も仰天しました。 どうして卒業して三年も会っていない自分の教え子が 高校にうかったというのに、そんなことを言うのか・・・。 とにかく酷い先生でした。
僕の小学校5年生と6年生は そんな先生と同級生のイジメの記憶しかありません。 正直、もう学校がイヤでイヤで仕様がなかったけれど、 「学校に行きたくない」なんて言えば 両親に、どんな目にあわされるか分からなかったので、 耐えました。本当に、耐えました。 「死のう」とは思いませんでした。 「死にたくない」と思っていたから、生きて来れました。
両親も怖くて、友達も怖くて、先生も怖くて、 一人ベッドでメソメソ泣いていたのが 僕の10歳から12歳の人生でした。
2003年02月12日(水)
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