一度だけの人生に
ひろ



 5歳まで

僕は幼い頃、特に3歳くらいまでの
期間だが、父方の祖父母の家に預けられることが多かった。
3歳と、正確に憶えているわけじゃないけれど、
両親の話を聞くと、だいたいそのくらいだったようだ。
実際、幼い頃の記憶は祖父母の家の記憶が多い。

両親は母方の祖父母の母屋のような所で
当時は暮らしていた。

両親、特に母親は、僕にとても厳しかった。
叩かれたり、蹴られたりすることは毎日のようだった。
特に多かった罰は、深夜に僕を外に引きずり出して、
玄関の鍵を閉めてしまうことだった。
僕は玄関で「ごめんなさい、ごめんなさい」と言って
泣いている。しかし、泣き叫んでいるときは決して開けては
くれなかった。たいていは泣き疲れて、静かになると、
開けてくれたものだった。しかし、途中から僕がそのことを
察知して、「泣きやめば入れてくれる」と思い、
必死で泣きやんだりしたので、母親は、そのうちに
泣きやんでも入れてくれなくなった。

理由は、些細なことが多かった。
食事の作法のことが多かったような気がする。
「ごはん、みそ汁をこぼした。」
「テーブルに肘をついた。」
「口に食べ物を入れたまましゃべった。」
「食べるときに音を立てて食べた。」
「食事中に正座を崩した。」
「食べるのが遅い。」
憶えているだけでもこれくらいはある。
食事の作法以外にも「口の効き方が悪い」
「客に自分からあいさつをしなかった」などなど・・・。

食事中であれば、その時点で最低でも食事抜きになる。
基本的には上記のように外に出される。
悪くすれば、散々叩かれた後に外に出される。
食事抜きも、家族が食事しているのを
隅で正座してみていなければならず、
正座を崩せば殴られた。一人、隅でメソメソ泣きながら、
「いつまでも泣いているな!うるさい!」と叱られることも
あり、それでもっと泣いてしまい、結局外に出されることが
多かった。

母方の祖父は、僕の姉を溺愛し、
僕を毛嫌いした。それは2、3歳の子どもに対する
態度としては、僕の両親でさえ、自分達のことを棚に上げて、
「そんなに酷い扱いをしなくても・・・。」
と思うくらいだったらしい。
「こんな奴は、将来ろくなものにならない。」
と言われていたらしい。
姉と僕が一緒に怒られて、外に出されたとき、
祖父は姉だけを家に入れて、僕を入れてはくれなかった。
上二つは僕自身は憶えていないが、それだけは憶えている。

父は母親ほど癇癪持ちではなかったけれども、
怒るときは、母のそれよりもっと激しく、
暴力的だった。母のように外に出したり、押入に閉じ込めたり
と言うようなことは無かったけれども、
もの凄い大声で怒り、とにかくいつも手をあげた。

幸か不幸か、病院に行かなければいけないような、
大きな怪我を負わされたことはなかったけれども、
鼻血や顔が腫れ上がるくらい殴られることは、
たびたびあった。

父方の祖父母は僕が、長男の長男と言うことも
あるのか、あくまで比較的だが、僕を可愛がったくれた。
しかし、父方の祖父は重度のアル中で、
酒が入っていなければ大人しくて良いのだけれど、
酒が入ると暴れることがあって幼心に怖かった。
父方の祖母は、自分の3番目の子、つまり僕の叔父さんで、
実はこの人は養子で、僕とも10くらいしか年齢が違わないのだが、
その叔父さんを溺愛し、常に僕を差別した。
この叔父さんを僕は当時大好きだった。
いつも遊んでくれたからである。しかしこの叔父さんも
一癖あって、すぐに怒る人だったが・・・。
僕は自然とこの叔父さんの真似をするようになったが、
それが両親のしゃくにさわり、ある夜に叔父さんと僕の
二人が父に呼び出されて説教された。
それが終わった後に僕は叔父さんから、
「お前が悪いんだ。真似すんな!近くに寄るな!」
と言われた。僕は心底両親を憎んだ。

とにかく僕は父方の祖父母の家に馴染んだのである。
それに関係したことで、一つはっきりと
記憶に残っていることがある。
ある夜、僕は母に怒られて泣いていた。
その時につい、
「なんで僕ばっかり怒るんだ。
僕はおじいちゃんの家に行きたい。
おじいちゃんの家の子どもになるんだ。」
と口走った。
それを聞いた母親は激怒して、
僕の服や荷物、なにから何までをまとめて、
紙袋に入れて玄関の外に放り投げて、
僕に保育園の制服を着せ、僕に2千円か3千円くらいの
お金を渡して、
「タクシーを呼んでやるから、一人で行け!
おじいちゃんの家が良いんだろ?
良いよ。おじいちゃん家の子どもになれ!」
と言った。僕が面食らっていると、僕を外に引きずり出して、
「お前はもう、うちの子じゃない!どこにでも行け!」
と言い、玄関の鍵を閉めた。
僕は玄関で、母親の手渡した千円札数枚を握りしめて、
いつまでも大声で泣いていた。
まだ、その時、僕は四歳か五歳くらいだろうと思う。
六歳になっていないのは確かである。

もう一つ、僕は母の姉、
つまり伯母さんが怖かった。
と言うのはこの伯母さんは母に
暴力と言う要素を足したような人で、
従姉妹はこの人にいつも叩かれ、
顔を腫らしていたからである。
僕は従姉妹達の様子を見ていて、
本当にこの伯母が怖くて、できればあんまり
接したくなかった。
ある日従姉妹と僕ら兄弟みんなが、
この伯母さんと一緒にお風呂に入ると言うことに
なった。僕はそれを嫌がった。
「お母さんと一緒に入る。」と言いはったような
気がする。それを聞いて怒ったのは母で、
「そうか。お前はお母さんと入るのか。」
と言って僕を服のまま、浴槽の中に入れて、
頭を湯の中に抑えつけて、「ほら入れ、入れ」と
言った。窒息とまでは行かなかったけれど、
けっこうお湯を飲んだ。
その後、浴槽から出されて、
「服を脱げ」と言われて、上着を半分ぬいで、
頭が服から出るか出ないかの所で、
お湯をかけられ、「そのまま」と言われた。
水を吸った服で呼吸が苦しかった。
そのままの状態で、風呂場の電気を消されて、
ずっと泣いていた。




だいたいこんな毎日が、僕の5歳までの人生でした。

2003年02月14日(金)
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