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■ 情けは人の為ならず
この言葉の意味を最近の人は 間違って理解しているみたいです。 そう言う僕も高校一年くらいまでは 「人に情けをかけるのは、 相手の為に善くないことで 自分でやらせるのがよい」と言うような 意味で理解していました。 みなさんはどうでしょう?
本来は 「やがて、自分が逆境に立ったときには、 相手から救いの手を差しのべられることにも なるものだ」の意で、 つまり人の為じゃなくて、自分の為に なるんだ。と言うことです。
別に、このことについてどうこう 言いたいわけではないんですけど・・・。
僕には、どうも人のことについて、 自分のことのように考えてしまって、 まさに独り善がりな煩悶をすることが 多いのです。何もできないとわかっていると、 かえって、煩悶も大きくなって、 憂鬱な毎日を送っているような有様なのです。
こう書くと、何やら僕が いわゆる「優しい人物」と誤解する人も いるかと思いますが、 実際は、繰り返しますが、 ほとんどが独り善がりで、 相手のためにも自分の為にもならない ものになっているのです。
それに、考えると、どこかに、 多分に打算もあって、 何とかしてあげたいと思う一方で、 「情けは人の為ならず」などと 思っているふしもあって、 我ながら、本当にやりきれない男です。
他人という存在は 不可解で、怖い者であると同時に、 また、自分を救うことが出来るのは 他人なんだ。というような 他力本願・・・といってはなんだけれど そう言う考えも、どこか僕にはあるのです。
僕の悩みはほとんどが対人関係の 悩みであることから、僕がこう考えるのも それほど変なことでもないようにも 思われるのですが・・・。
「NOと言えない日本人」 という言葉もよく耳にしますが、 この「はっきりNOと言えない」ことが 僕の対人関係に関する大きな苦痛の一つなのです。 はっきりNOと言ってしまうと、 もう二度と、その人とは良い人間関係が 作り得なくなるんじゃないかという、 恐怖が僕の場合、人並みはずれて大きいのです。
その恐怖から、僕は 人の頼みをなかなか断ることが出来なく、 また例の「情けは人のためならず」の 思いも重なって、やりたくないことを 我慢してやってしまうのです。 そんなわけですから、 僕の(他人から見た場合の)「優しさ」は とても、「やってやった」的な 記憶を僕の中に強く残して、 恩着せがましく、 執念深いといっても言い過ぎでもないような 気もするほどになるのです。
「情けは人のためならず」と思って かける情けは、どうも 自分のためには決してならないようです。
2002年11月27日(水)
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