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■ 同情と愛情
この間、僕の専攻の教授の一人である、 ある三十代前半の女性教授が、他の、同じく僕の専攻の 年配の教授に怒鳴り声で説教されていました。 なぜ怒られているのかは、聞いていても 学生の僕にはあまり分かりませんでした。 研究室から声が漏れて、演習室にいた 僕にまで聞こえるくらいですから、 相当大きな声でした。
僕は、人が(特に目上の人が)大きな声で 人を叱っているのに出くわすと、 妙にハラハラしてしまって、落ち着かなく なってしまいます。 目上でなければ、特にそんなことは 無いのですが・・・。 僕には目上の人に叱責されると、 自分が悪くなくても、 だんだん自分が悪いような気がしてきて、 最後には「おっしゃる通り、自分はダメなんだ。」 となってしまう、意志薄弱な所があって、 目上の人に叱責されるのは地獄の思いなのです。 だから、他人事でも聞いているとハラハラしてしまって、 嫌なのです。
だんだん、その女性教官が (その人の、いつもオドオドしているような性格もあって) とても可哀想で、それと同時に「愛おしく」思ってしまいました。
この「愛おしい」という感情について 僕は昔から迷い、悩んできました。
僕は昔から、といっても高校生からですが、 恋愛の対象として「好き」になるのは、 いつも「可哀想」だと感じた女性だけなのです。 逆に言うと「可哀想」と少しも思えないような 感じのする女性には魅力も何も感じないのです。 気にもならないと言っても良いかも知れない・・・。
「同情と愛情は区別しなさい」 っとは良く聞く言葉ですが、 この言葉を考えるとき、もしかしたら 僕は今まで、一度も愛情というものを持ったことが 無いのかも知れない。もちろん異性愛と言う点において。
しかし、考えてみるに、 同情と愛情の区別とはどうやってするのもだろうか? 例えば金持ちが、使用人の娘と恋をする なんて言うような映画とか物語があるけれど、 他人から見て、「これは愛情じゃない」と 言い得るもの(条件?行為?)は果たしてなんだろうか? また当事者から見て「これは同情じゃない」と 言い得る者はなんでしょうか? よく考えてみてもはっきりと 区別できるものがないような気がする・・・。
あいじょう(アイジヤウ)【愛情】 〔夫婦・親子・恋人などが〕相手を自分にとってかけがえの無い存在 としていとおしく思い、また相手からもそのように思われたいと願う、 本能的な心情
どうじょう(ドウジヤウ)【同情】 差し迫って困っている相手の苦しみ・悩みを、相手の立場に立って理解し、 そのうちにいい目も出ることが有るのだから、しっかり生きるようにせよと 温かい言葉をかけること
この辞書から引いてきた 意味を見ると、明らかにこの二つは 別個のものであることがわかります。 どう考えても別個のこの二つを見て僕には ある自己弁護の一つの考えが浮かびました。
「愛情と同情は本来、全く別個のものであって、 これらが同時に発生することも十分あり得るし、 また、先に同情ありきの場合でも、 その定義、性質上、両者は混同し得ないものである。」
と、書いてみたら、まだ言いきれないものも、 あるような気がしてきた。
例えば同情されて、それを愛情と勘違いする人の話。 例えば同情して、それを愛情ゆえと勘違いする人の話。 いや、まて、全く愛情のない人に (僕だったら)同情するだろうか? ああ、難民の子供たちには僕は同情する。しかし 彼らは僕にとって「かけがいのない存在」か・・・。 違う。つまり難民の子の場合は純粋な「同情」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
考えれば考えるほど分からなくなります。 「かけがいがない」という気持ちも、持ってはいましたし、 それなりに恋愛の煩悶を今まで十分に味わってきた ようなつもりではいたんですが、 もしかしたら、僕の場合は同情と憐憫と可哀想と言う 気持ちの煩悶で、本当はみなさんの言う「恋」は したことがないのかも知れません。
2002年11月28日(木)
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