一度だけの人生に
ひろ



 nihilism

自分で意図して
というわけではないが、
勉強すればするほど、
ニヒリスティックになっていく。

全てぶちこわした後で
人間の感じることの出来ること
つまり人間の底辺、底流。
そう言った部分にまでたどり着けば
本当に共感、共通認識というところが
見つかるのではないかと・・・
思っている。

しかし、
今のところ自分に見えてくるものは
エゴイズムがばかりだ。
個人のエゴイズム。家庭のエゴイズム。
社会のエゴイズム。宗教のエゴイズム。

ならばエゴイズムから始めよう。

というのはどうも人には
簡単に受け入れてもらえないらしい。
しかしどう考えても
エゴイズムは否定できないはずだ。
ごまかしてはいけない。
ごまかせば歪む。
ごまかせば、そのうちにごまかしたことを忘れる。

虚偽、偽装、体裁
すべて棄てて、本当の、あるがままの現実を
見なければいけないのではないだろうか。


確かに人間はエゴイズムだけではない
すばらしいものをその精神の中に持ち合わせている
でも、自分にはあくまで主はエゴイズムだと
思われるのです。
それがいつのまにやら、
考えが逆転してしまって
そのせいで人々は気まずい思いに苛まれ、
加害者意識とでも言うような感覚に
襲われているのではないでしょうか?

その気まずさが、現実とのズレが
内罰的な方へと傾きのある人には
「生きる意味」「自虐」「自殺」という方向
外罰的な人へは
酒、麻薬、刹那的快楽、暴力の方向へと
向かわせるのではないでしょうか。
いずれにしてもその「現代の思想」と
現実とのズレが自分達に「不適応感」を
もたらしているのだと思うのです。


というような想像を最近よくします。
どだい俺には啓蒙なんてことは興味がない。


2002年05月16日(木)
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