| 2008年10月23日(木) |
日本一はサポーターだけ―瀕死の浦和ー |
日本一のサポーターだけが残った。
浦和がACL決勝進出を逃した。G大阪にホームで1−3の完敗。Jリーグの優勝の可能性もほぼなくなり、ビッグタイトルを逃す可能性のほうが高くなってきた。
成績不振の原因はいろいろある。序盤にポンテ、三都主が故障、ポンテは故障回復後も調子が上がらず、司令塔の役割は果たせなかった。鈴木の不調も痛かった。昨年、彼はフル代表、Jリーグで休みなく試合に出続けいい働きをしたものの、そのツケがまわってきた。獲得したFWの高原、エジミウソンも期待にこたえられなかった。
不振の要因として故障者続出をいくらでも挙げられるのだが、それでも、浦和の戦力からみて、不振の選手に代わる逸材はいくらでもいる。ボランチ鈴木の代わりならば、阿部で十分だ。ポンテの代替として梅崎もいる。永井をFW以外で起用する選択もあった。
シーズン後半になっての断言であるため、「結果論」という謗りを受けることを承知で言うならば、浦和の弱点は監督にある。出足、オジェックで躓き、後半、エンゲルスで底が抜けた。この2人に共通するのは、選手をコントロールできなかったことだ。昨シーズンはワシントンがオジェックに造反し、今年はポンテがエンゲルスに造反した。浦和は、日本ではビッグクラブであることは確かだが、昨年、ACLを制覇したことで、当事者、周辺の者、スポーツジャーナリズムが浦和を持ち上げすぎて、選手が増長した。浦和が世界レベルなのは、そのサポーターだけ。
昨年の浦和のACL制覇は、ワシントンという卓抜したFWのおかげ。彼の個人技が浦和躍進の核だった。その核が抜けてしまったので、浦和は普通のチームになった。高原にワシントンの代わりを務めてほしいという願いは願いであって、儚い夢に終わった。
浦和の戦い方自体は、昨年も今年も変わっていない。昨年はワシントンが強引に点を取り、今年は、DF闘莉王がその役割を担おうとした。今シーズン中盤、浦和が好成績をおさめた要因は、闘莉王が昨年のワシントンのような活躍をしたからだ。しかし、他のクラブが闘莉王対策を講じてきたところで、失速が始まった。
ワシントン、闘莉王に罪はないけれど、いまの浦和の不調の主因は、ワシントンと闘莉王にある。二人のブラジル人(闘莉王は日本国籍だが)に依存してきたほぼ2年間が、浦和を、組織性、規律、結束力、統一した戦術で戦える集団となることを、阻んでしまった。チームが勝っていればだれも文句は言わないし、自分たちにも弱点が見えない。弱点が放置されたままの浦和は、いつのまにか「世界的クラブ」であるかのような評価を得てしまった。
G大阪戦の後半、浦和が「戦う集団」でないことは、だれの目から見ても明らかだった。それでも、「世界一」のサポーターが懸命に応援をしていた。浦和レッズのホーム「埼玉スタジアム」で、試合を捨てずに本気で戦い続けているのは、サポーターだけだった。
もう一つ、この試合で明確になったことは、浦和の選手の体力不足である。中盤を見ると、昨年までの汗かき役・鈴木は不在、ポンテ、山田、平川の動きは、ピークは過ぎたベテランのように重い。実際にその域に達してしまったのかもしれない。
DFの坪井、堀之内は危機感、緊張感、集中力が欠けていた。闘莉王は怪我が多い。満足に練習をしないという指摘もある。まともなのは阿部だけだが、一人では何もできない。
誤解をおそれずに言えば、闘莉王を追放しなければ、浦和は強くなれない。彼は試合における自分の役割を理解しようとしないように見える。監督が彼をコントロールできないのか、彼が監督を無視するのかどうかはわからないが、彼がいることで、浦和の戦い方に一貫性が欠ける。「苦しいときの闘莉王頼り」で急場をしのいできた結果が、抜け殻のような無残なきのう(22日)の浦和だった。
サッカーは、スター軍団をつくっただけで勝てるスポーツではない。強固な組織がスター軍団に勝つスポーツなのだ。だから、サッカーはおもしろい。G大阪は、DF山口、MFの明神、遠藤が得点をあげた。遠藤以外は、代表ではない。G大阪のほうが、得点もさることながら、スタイルとして浦和を上回っていた。浦和は負けるべくして負け、ACL戦線から消えた。残ったのは、「日本一、いや、アジア一のサポーター」だけである。
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