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2008年10月04日(土) 清原選手引退

プロ野球オリックスの清原選手が引退をした。マスコミ及び特定のファンに支持された選手だった。筆者はアスリートとしての清原には不満である。野球選手としてかなりの才能をもちながら、野球選手として必要な鍛錬を積まなかった。そのため、とりわけ晩年は活躍できなかった。彼がどういう哲学に基づいて筋肉トレーニングを積んで立派な上半身をつくりあげようと思ったのかはわからない。だが結果として、上半身の筋肉量の増大に比例して下半身への負担が重くなり、走れない、守れない野球選手で終わってしまった。

清原の野球人生は、巨人との関わりの中で神話化された。入団時のドラフトで、熱烈な巨人ファンだった清原は、巨人からの1位指名を確信していたという。巨人軍関係者から1位指名を伝えられていたからだといわれている。ところが、実際に巨人が1位指名をしたのは、彼のPL学園の親友・桑田だった。清原は仕方なく、そのとき1位指名した西武ライオンズに入団したといわれている。

巨人軍が、当時・高校生の清原に対して、1位指名するといっていながら桑田を1位指名したとしたら、それは恐ろしい話である。巨人は投手・桑田を無競争で指名したいがために、「清原1位指名」をカモフラージュに使い、無競争で「桑田取り」に成功したという、かなり陰謀めいた話になるからだ。

読売ほどの大企業が高校生相手に情報操作を行い、高校生の夢を裏切った――今日、清原と巨人軍との確執は、まことしやかに球界の伝説となって息づいている。だが、巨人が清原を裏切ったという話は本当なのかどうか――筆者は清原神話を疑っている。たとえば、大物野球選手・監督・コーチ等が将来を嘱望されている高校生に対して、「卒業したら、一緒にやろうな」と声をかけたとしよう。その高校生がその言葉を信じて自分の励みにすることは考えられるし、その一方、声をかけたプロ側に入団を保証したという自覚はない場合も大いにあり得る。先輩職業野球人として、高校生を激励しただけであって、入団を確約したわけではない。ナイーブな高校生がその言葉を信じる、信じないは、状況次第である。

筆者の想像を述べるならば、高校生・清原に対して、巨人軍への入団を保証したかのような発言をした関係者に他意はなかった。君を待っている、君と一緒にやろう、将来は俺とチームメートやな・・・いろいろな表現はあるのだろうが、巨人軍関係者がそのような声を高校生・清原に掛けたとしても、その関係者の頭の中には、ドラフト制度の壁に思い及ばなかったとしても不思議ではない。

巨人軍に「裏切られた」清原は、そのとき以来、“アンチ巨人”の支持を得るところとなった。そして、日本シリーズで西武が巨人を破って日本一になったとき清原が一塁守備で号泣したシーンを見て、「感動」をした(ようだ)。

巡り巡ってFA制度が施行され、清原は念願の巨人軍入りを果たす。しかし、巨人軍に入団した清原のプレースタイル、持ち味は、巨人というチームカラーに馴染むものではなかった。清原の野球選手としてのピークは西武時代で終わっており、巨人では、走れない、守れない、内角球を避けられない野球選手として、地蔵と揶揄された。“アンチ巨人”の旗手がFAで巨人に入団してしまえば、“アンチ巨人”も拠り所を失ったわけで、「巨人の清原」はまったくそぐわない存在となってしまった。

清原の価値は、巨人を退団してオリックスという辺境球団に移籍して再び蘇えるところなった。そして、今回の引退である。引退に際しては、再び、ドラフト時における「巨人軍の裏切り」が持ち出され、清原神話が復活した。清原が巨人を最後の球団とせず、他球団の、しかも、オリックスという辺境球団で引退を決意したことはみごとな計算であった。彼はあくまでも、巨人という中心にではなく、西武、オリックスという周縁にあった。まさに“バンチョー”という愛称が相応しい。


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