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2008年09月01日(月) WBC監督問題と説明責任

野球五輪日本代表が惨敗を屈した後、WBCの日本代表監督の座を巡り、俄然、世論が盛り上がってきた。当コラムにて先述したとおり、日本プロ野球を事実上支配する読売は、星野を、〔五輪⇒WBC⇒巨人軍〕の順で監督に就任させることが既定路線。五輪金メダル、WBC連覇ならば、外様の星野が巨人軍監督に就任しても、口うるさい巨人軍OBの文句を封じ込める、という読みだったに違いない。

ところが、五輪日本代表は、日本人メジャーを除く国内最強チームを編成したにもかかわらずメダルなし、予選リーグでキューバ、韓国、米国に負けてカナダに辛勝、決勝トーナメントでも韓国、米国に負けるという、野球ファンのみならず、国民の期待を裏切る結果に終わった。そればかりではない。星野の采配、選手選考、選手起用、スタッフ編成等という監督に係る仕事のみならず、その人間性にまで批判が集まり、星野のWBC監督就任は常識ではあり得ない状況になっている。

ところが、日本プロ野球の常識は世間の非常識――という現状を追認するかのように、星野がWBC監督を務める読売の既定路線は覆りそうもない。その理由は、これも当コラムにて先述のとおり、NPBが読売の意を全面的に汲む、飾り物の機関にすぎないからだ。

野球界からは、「日本シリーズ優勝監督をWBC監督に」(中日球団オーナー)という提案が出ているほか、ヴァレンタイン(ロッテ監督)、落合(中日監督)、王(ソフトバンク監督)らの名前が非公式に挙がっている。筆者は、読売でプレーした、デーブ・ジョンソン(米国北京五輪代表監督)を最適任者に挙げているが、いまのところ賛同者はゼロ(笑)。

メジャーリーガーが参加するWBCで日本がリベンジを果たして連覇するとなれば、五輪の屈辱を晴らして余りある。読売としては、星野に賭けるしかないところ。ここで星野がまた惨敗を屈すれば、星野の野球人としての命運は尽きたも同然。読売としても、星野巨人軍監督で人気の巻き返しを図る計画も果たしえない。WBCで星野が勝たなければ、星野も巨人軍も一心同体で運が尽きる。星野の代表監督続投は、読売としても背水の陣なのだ。

だが待てよ、〔野球の繁栄=読売の繁栄〕ではないだろう。読売が描いた星野=北京五輪日本代表監督〜WBC日本代表監督〜読売巨人軍監督という図式は、〔強い巨人軍〕の再現であって、過去の栄光を蘇らせるという読売の利益実現の再現にすぎないのではないか。そもそも、読売巨人軍一極集中のプロ野球のあり方が異形なのであって、いまこの時期、正常な姿に戻す努力のほうが重要なのではないか。

WBC監督=星野という路線は、だから、プロ野球=読売興行を追認するかどうかの踏絵となっている。筆者は、プロ野球の繁栄を願っているが、それは前出のとおり、読売の繁栄と等しいものではなく、フランチャイズ制度を土台にした、地域文化として地域の活性化に寄与する、自立するプロ野球の繁栄である。その中の一球団として、読売があってもいいしなくてもいい。日本においては、野球が生活文化として根付いている事実を認めざるを得ないのであって、それを破壊する必要はない。

中日オーナーの提案は正論だ――と筆者は思う。中日オーナーは、「結果として、WBC監督に星野が就任することになることはかまわない。星野である理由が明確であればよい」と述べているとの報道があったが、それも筆者の考え方と同じだ。渡辺読売会長が自社の利益追求の立場から、星野WBC監督を主張することは当然のことだと思う。渡辺会長の頭の中には、栄光の巨人軍、常勝の巨人軍という幻想以外にはない。彼にはプロレスのような――ハンサムのヒーローが群がるヒールをやっつける――野球しか思い浮かばない。

アジア太平洋戦争に負けた戦後日本は、神の子(臣民)すべてが大きな挫折感を抱いた。負けるはずのない神国日本が負けた事実に国民すべてが大きな虚脱感を抱いた。その虚脱感を埋めるのが、力道山の常勝プロレスだった。八百長だと言われても、虚脱感を埋める娯楽として、力道山プロレスは支持されたのだ。

野球も同じである。強い者に対する憧れが巨人軍神話を形成し、野球ファンは常勝を望んだ。野球(スポーツ)とプロレス(演劇)は根本的にそのあり方が違うので、八百長を仕掛けるわけにはいかない。それゆえ、読売が採用したのは豊富な資金力を使った選手集めと、コミッショナーを動かす超法規的措置だった。「空白の一日」を使って江川を巨人軍に入団させ、エース小林を阪神に放出した「江川事件」は記憶に新しい。近年では、ウエーバー方式のドラフト制度を形骸化させ逆指名制度を規定化し、そのうえでFA制度を設けて、豊富な資金力で他球団の主力選手を入団させて、常勝軍団をつくろうと図っている。スポーツジャーナリズムはそれを企業努力だといって批判するわけでもなく、読売のなすがままだ。

読売以外の新聞社や出版社系の週刊誌は読売批判を行うものの、所詮、外野席の声に過ぎず、巨艦読売を沈没させるには至らない。読売の単独行動主義を止められるとしたら、国民の声に裏打ちされたコミッショナーの判断しかない。NPBが独自性・公正さを取り戻して、真にプロ野球の統括機関として機能するならば、WBC監督問題は明日にでも結論を出せる。星野であることの説明、星野でない、ほかのだれかである説明をコミッショナーがすれば、それでこの問題は終息するのである。もちろん、結論を明日だせというのではなく、“監督問題はコミッショナーが預かる”と一言言えば済む問題なのだ。それができなければ、“名ばかり”コミッショナーという現実がダラダラと続く。


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