| 2008年08月31日(日) |
リスクマネジメント欠いた星野ジャパン |
星野ジャパンには、基本的なリスクマネジメントがないことがわかってきた。五輪ならやらなければいけないことをやっていない疑いが濃い。その1つは、▽ドクターチェック、そして、もう1つは、▽選手の負担軽減の配慮、3番目は、▽冷静さの維持――である。星野は3つのリスクマネジメントを欠いた。負けるのは道理というものだ。
星野ジャパンの特集番組があった。相変わらず、中身はない。日本の野球は、日本のスポーツジャーナリズムの中身のなさに準じて滅びるにちがいない。でも、「星野ジャパン特集」の唯一の収穫は、帰国後重症であることが判明した野手が「本人が出たいというから」という理由で星野が五輪に連れて行ったことだ。「選手は一生懸命やった」「負けたのは監督の責任」という星野の帰国後の談話はそのとおりだった。この番組のおかげで、悪いのは監督だけだ、ということが実証された。
星野には、「熱血」「闘将」「根性」という日本の体育会系暴力指導者の影が付きまとう。彼は、多少のケガなら「気力」でなんとかなるくらいの「指導者」だ。そんな「指導者」を慕う選手もいるし、「指導者」として優秀だという日本の風土もないことはない。だが、選手が故障の疑いがあるなら、基本はまずもって、ドクターチェックだ。ドクターチェックで疲労骨折がわからないわけはない。監督が疲労骨折の疑いのある選手を代表として召集し、五輪に先発で起用し続け、帰国後、その選手がシーズンを棒に振るという事実を見過ごすわけにはいかない。
故障は、プロ選手の野球生命にかかわることだ。ドクターチェックで「ノー」が出たら、選手が出たいといっても、召集を見送るのが指導者の義務だと筆者は思う。筆者の想像では、星野ジャパンは、召集選手のドクターチェックをしていない疑いがある。
日本の根性野球は、たとえば、全国大会で高校生に5試合も連投させ、1,000球近く投げさせる「甲子園野球」が礼賛されるという悪しき伝統に基づいている。星野もその同一線上にあり、このたびの五輪における故障者酷使になって顕在化した。
読売以外のある球団から、WBCの日本代表監督に星野は就任すべきでない、という声が挙がったらしい。筆者はもちろん、その声に賛成だ。たとえば、投手起用――クローザーは勝ち試合に登板すべきなのであり、同点の段階で切り札を出してしまったら、どうしようもなくなる。勝ち試合における中継ぎ、抑えの役割分担をどう考えたのだろうか。そもそも、中継ぎ専門投手はだれだったのか・・・岩瀬が中継ぎなら、抑えはだれなのか。藤川は?上原は?
リーグ戦でやったことのないポジションや役割を、五輪という大舞台で選手にやらせるのはいかがなものか。五輪は限られた戦力で補充が利かない。短期決戦、芝のグラウンド、不規則な試合開始時間、変則なストライクゾーン、データはあっても未知の相手・・・筆者が監督なら、選手の負担を軽くすることを優先する。ミスの発生を減らすためのリスクマネジメントだ。星野はことあるごとに選手、選手というが、実際には選手のことなど何も考えていない。口だけだ。選手をおだてて選手をその気にさせれば、結果が出るとでも考えたのだろうか。実際は、慣れないことを選手に強いているだけなのに。
星野の“小心ぶり”は、噂、一部報道では言われていたことだが、このたびのテレビカメラの密着により、それが事実であることが明白になった。強権的態度は表面だけ。ピンチになればベンチをうろうろし、どなりちらし、選手起用に冷静さを欠いていることが映像に十分とらえられていた。
冒頭、この番組に中身は何もないと書いたが、カメラに嘘はなく、しかも、雄弁だ。テレビカメラが星野の狼狽ぶりをよくとらえた。番組に中身はないが、カメラワークは賞賛に値する。準決勝の韓国戦でピンチを迎えて、「ケンシン!」と投手交代を狂人のように叫ぶ星野の姿、これは指導者・監督の器ではない、と筆者は直感した。それでも、「WBCは星野」なのかね〜
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