グループリーグ敗退が決定した後の14日の最終戦、日本は0−1でオランダに敗れ、3連敗(勝点0)で五輪を終えた。オランダはこの試合を落とすと決勝トーナメント進出が危うい状況で、しかも、前評判が高かっただけに日本の完敗が予想されたのだが、そのオランダも調子が悪く、試合は凡戦となった。勝ったオランダの決勝点は、MF本多(圭)が与えた微妙な反則PKによるもの。なんともすっきりしない勝ち方だった。
日本のグループリーグ敗退の理由は、いろいろと考えられる。代表監督の指導力、選手選考、代表チームの戦術、選手の取り組み方・・・等の観点が常識的なものとして挙げられる。たとえば、“反町には五輪代表選手をまとめる力量がなかった”という報道がなされている。外部者には反町の監督の力量については、結果が出なかったということだけしかわからないのだが、帰国間近になって、代表選手の中から反町批判が出ているという報道を目にした。負けた選手が監督批判をするとは情けない。結果を出せなかった自らの責任を省みず、監督批判に走るとは・・・五輪代表選手の敗戦後のこのような言動は、“恥ずかしい”の一語に尽きる。
グループリーグの3戦を通じて目に付いたのは、日本五輪代表選手の力量のなさ、世界レベルとの開きであった。こればかりはどうしようもない。試合に負けても輝く選手は一人か二人いるものだが、皆無であった。北京五輪世代は不作である。
もう一つ、日本の選手が力を発揮できなかった理由は、初戦の米国戦、GK西川周作のミスで負けたことだと筆者は考えている。初戦を引き分けておけば、また違った展開が期待できた。ミスを責めるのは可哀想だけれど、GKというのは、責められて仕方がないポジションなのだ。
さて、アフリカの強豪・ナイジェリア戦では、身体能力、スピード、パワーにおいて、素人が見ても歴然とした差があることがわかった。元日本代表監督のジーコは、W杯ドイツ大会終了後、“日本は体格の差で負けた”と総括して、失笑を買ったものだ。サッカーはレスリングではない。身体能力等に差があったとしても、試合に勝つことができる。前日本代表監督のオシムは、常々“日本人のサッカー”を追求すると宣言して止まなかった。オシム路線とは煎じ詰めて言えば、日本人が世界と相渉るためには、日本人の資質にあったサッカーを高度化することなのだ。その資質を具体的に言えば、俊敏性(アジリティー)、組織性(規律=ディシプリン)、技術力(テクニック)であり、加えて、運動量(走力、持続力)を付加することが課題だった。
反町はオシム路線の継承者だという評価があったものの、五輪ではその片鱗すら見られなかった。筆者が残念に思えたのは、グループリーグ3試合を通じて、五輪代表チームの特性が現れなかったことだ。選手の力を引き出せなかったのは監督の責任。
こうした基本路線の問題と離れて、筆者が不思議に思ったことに最後に触れておこう。すべて結果論ではあるけれど、筆者が納得できないことなので敢えて書く。
代表選手選考では、海外組のFW森本(カターニア)を呼び寄せておいて、右SB水野(セルティック)を外した。右SBには内田がいるから水野は不要だという論理かもしれないが、3試合を通じて内田がどれだけ活躍しただろうか、また、森本がどれだけ活躍しただろうか。豊田と平山の選択も、それでよかったのだろうか――集めた選手が結束してシナジー効果により、想像以上のパワーが出れば、サッカーの大会では勝ち進むこともある。サプライズである。だから、苦しい予選を戦ってきた選手を主軸にしてチームをつくっていれば、結束力という点で、違った結果が出せたかもしれない。代表から外した選手の中には故障者が含まれていた可能性もある。外部者には実情がわからないものの、フル代表との絡みで、予選を戦わなかった選手を選んだのであれば、反町は岡田の意を汲んだと思われても仕方がない。
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