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2008年06月04日(水) 祝!オシムさん復帰

サッカー日本代表のイビチャ・オシム前監督(67)が4日、日本サッカー協会のアドバイザー就任の記者会見に臨んだ。集まった報道陣は100人以上。オシム氏への関心の高さを証明した。

今後は、アドバイザーとして〈1〉指導者の養成〈2〉ユース世代の育成〈3〉海外の情報を収集して日本協会に還元―に務めるという。

まず、オシム氏の回復を心から祝福したい。今後も日本サッカー界に貢献してくれることを心より、祈念する。

さて、会見で記者から岡田ジャパンについて聞かれると、「親しくないあなた(記者)と、そんな話はできない。私が質問に答えると思いましたか」とかわしたらしい。

オシム氏に限らず、前任者・後任者についてあからさまに批判するような人物は世界のサッカー界に存在しない。その反対に、儀礼的な賛辞も送らない。おそらく、それが世界のサッカー監督業界の流儀なのだろう。もっとも例外はジーコ氏で、彼は前任のトルシエ氏をぼろくそにけなしたことで知られている。

たくさんの報道陣が集まったということは、やはり、「オシム語録」への期待の表れだと思う。報道というのは、「言葉」が命の業界だ。気の利いた「一言」で新聞が売れることも多い。

オシム氏の言葉への報道陣の期待とは、サッカー発展途上国・日本の現状を端的に表している。オシム氏のもろもろの言葉から、日本人がサッカーの楽しみ方を学んでいるのだ。たとえば、オシムがひねり出した「ポリバレント」という一言で日本中が沸騰した。日本人の多くが「ユーティリティー・プレーヤー」という概念を知っていた。いうまでもなく、多くのポジションをこなせる多能選手のことだ。だが、サッカーにおけるその概念の重要性がわかっていなかった。オシム氏がポリバレントという概念をもち込んで以来、日本代表でDFを務める阿部の存在がクローズアップされるようになった。そして、社会においても、そのような多能型の人間の重要性を認識するようになった。

岡田監督にはそれがない。就任当初、多弁だったのだが、核心をついたものではなかった。バーレーン戦の敗戦以降は無口になった。ユーモアもなければ生きた言葉もない。いまの岡田監督は、むっつりとした、傲慢な官僚のように見える。それが日本代表の暗さに通じている。希望のなさに通じている。

サッカーファンは日本代表が試合に勝つことをもちろん望んでいるけれど、それだけではない。日本のサッカーが文化としてこの国に定着することの必要性を認識している。世界のプロサッカーが100年以上の伝統をもっている一方で、日本のたかだか15年の歴史の短さがサッカー文化の貧困に陥らないためには、サッカーについていろいろな楽しみ方ができる指針を必要としている。その1つの存在がオシム氏だった。オシム氏こそがポリバレントなのだ。

オシム氏の会見の一部をTV映像でみたとき、筆者はほっとした気分になり、自分の顔が和むように思えた。岡田監督の顔をTV映像で見たときには、こんな気分になれない。筆者は岡田監督に個人的恨みがあるわけではない。サッカーに勝つこと負けることは重要なことだけれど、サッカーはそれだけで終わらない。

オシム氏の回復した姿を見たとき、人々がサッカーに求めているものが、希望であることを改めて認識した。儚いけれど、そしてささやかな、つかの間の希望を共有することだと。


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