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2008年05月29日(木) 6月、日本国民は中村俊輔と心中する覚悟

中村俊輔コメント:(90分やってみて)前半はできていたけど、(後半は)出ていく選手がいなかったり、ボールが回っていても選手が止まっていた。崩しながらも、誰かが走るのを探していた。巻がフリーになって走っていたり、巻が動いた後に、誰かがそこに走り込んでいたり、そういうことを何人かで意識していかないといけない。
いきなりドリブル突破を始めて、そこで終わっちゃったら意味がない。意思の疎通というか、ちょっと動くだけで簡単にフリーになれるから。試合前に言ったり、時間がないから、やりながら合わしていかないと。それに個人の技術がついていけばいい。

パラグアイ戦の後、中村俊が後半から入った松井、大久保、山瀬を批判した。俊輔の怒りは、彼らが個人プレーに走り、無謀なドリブルばかりで、チームとしての攻撃の形をつくろうとしなかったことを厳しく難じた。

中村憲剛コメント:
前を向けたら飛び出す回数も増えるし、サイドチェンジだけじゃなくて、そういうことも必要。守備でもどこから行くのか、どこまで行くのかという共通理解が必要で、そうしないと90分間体力は続かない。ボールを簡単に失うと、行ったり来たりになってしまうので、回して相手の体力を削ることも大事だし、ボールをつなぎながらサイドチェンジをしたり、1人、2人とつないでいる間に3人目が動き出すといったこともやれればいい。相手は引いていたし、もっと人数をかけていけば、思い切った攻撃になったのかなと思う。

中村憲はやはり、日本代表のチームとしての約束事の不徹底さを批判した。無駄な動きが多く、(岡田采配の下では)90分間、体力がもたないと(岡田監督)を暗に批判した。パラグアイ戦前日のA新聞によると、中村俊が指名した中盤の選手は遠藤と中村憲の2人で、3人はオシム前監督時代に培いつつあった日本代表チームの方向性について共通意識を抱いているようだ。ところが、岡田監督に代わってからの代表試合では、中村俊、中村憲、遠藤の3人組は、岡田監督、そして新たに加わった代表選手と“ずれ”を感じていることがわかる。中村憲の危惧は、チームの基本的方向性が失われていることだろう。中村俊、中村憲のコメントは、これまでの共通理解が崩壊したことに対する怒りと焦りの象徴だと考えられる。

パラグアイ代表マルティノ監督コメント:
私の印象としては、(日本代表は)前半と後半とではまったく違う2つのチームのように思えた。それが、こちらのプレーの影響によるものかどうかは分からない。もしかしたら、日本が自滅というか、自分自身でレベルを下げてしまったのではないかという印象さえ受けている。いずれにしても前半の日本は、非常にスピード感あふれていて、プレーも正確だった。攻撃時にいい動きができていたと思う。

パラグアイにしてみれば、後半のような日本の「個人的攻撃」を防御するのはお手のもの、まったく恐怖を感じないということだろう。個人技の仕掛けでは、南米勢のほうが“一日の長”があるのであって、パラグアイの守備は、日本の個人攻撃程度では、怖さを感じない。日本が活路を見出すべきは、抽象的にいえば、「組織的攻撃」ということになる。

昨日の当コラムで「日本代表が危ない」と書いたのは、岡田監督が「オレ流」を宣言して新戦力を加えても、チームが固まらなければ、強くならないからだ。代表チームというものは、日本のみならず、短期間でチームを仕上げなければならない。クラブチームと違って、代表試合数は限られているし、代表選手も流動的だ。だから、欧州の場合、近年、各国のリーグ代表が覇を競うUEFAチャンピオンズ・リーグ(CL)の人気が高まっていて、先般、ロシアで行われたマンチェスターUとチェルシ−の決勝戦は、近年にない好試合として絶賛された。サッカーのクオリティーという観点からは、クラブレベルの方が代表レベルより高い。欧州の有力クラブの場合、世界各国の代表選手の集合体だから、1国の代表チームより選手の質は高いし、彼らがより高度なコンビネーション、組織力を長い時間かけて培うわけだから、CLの方が代表戦より魅力的になるのは当然だ。

もちろん、代表試合には、クラブ対抗にない“おもしろさ”がある。その“おもしろさ”とは、ナショナリズムの延長線にある。代表戦=W杯の開催意義とは、大雑把にいえば、「世界で一番サッカーが上手な国はどこなんだい?」という、素朴にして最重要な問に対する、最も直接的かつ的確な、これ以上ない、回答となることだ。

日本代表がアジア予選を制し、W杯に進むということは、アジアで一番強い国の1つだということをアジアの国々に認めさせることにつながる。日本国民は、そのすべてとはいわないが、ちょっとだけ優越感に浸り、いい気持ちになれる。筆者は、そのことが悪いとは思わない。サッカーで優越感を抱くことは健全だ。もちろん、負ければ健全な悔しさを抱くだろう。ゲームにおける勝ち負けは、人類の娯楽の1つだ。

さて、来月のアジア三次予選の4試合で日本代表が勝ち抜くにはどうしたらいいのか。岡田監督を更迭するのが一番いいのだが、もうできないだろう。ならば、中村俊輔にすべてを任せるという手もある。攻守にわたって彼を中心にすえ、彼とサッカー観を共有できる選手を集め、彼の価値観でサッカーをやってしまう。この期に及んで岡田の代表監督としての手腕が高まることは期待できない。中村俊を核として結束力を高め、岡田は中村俊をサポートする役割に徹してみてはどうか。

6月の4試合については、日本代表チーム及び日本国民(サポーター)が、日本国民の中で最もサッカーの上手い中村俊輔と心中する覚悟で臨むのだ。そんな風に考えると、まるで希望のない岡田ジャパンにも、ささやかな希望を抱くことができるかもしれない。


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