| 2008年01月12日(土) |
若手の欧州移籍を歓迎する |
先般、「日本サッカーは先細り」と書いた。その根拠の一つとして、日本人選手の海外移籍が途絶えたことを挙げた。ところが、その直後、J1千葉の日本代表MF水野晃樹(22)が、スコットランドプレミアリーグ・セルティックと2010年6月末までの仮契約を結ぶことが明らかになった。さらに、浦和の日本代表MF長谷部誠(23)が、ブンデスリーガ・ウォルフスブルクに完全移籍することが決定的になり、さらにさらに、名古屋のMF本田圭佑(21)が、オランダ1部VVV移籍が濃厚との報道が続いた。
3人の移籍先がそれぞれスコットランド、ドイツ、オランダであって、イングランド、イタリア、スペインの欧州最強リーグではないことは多少残念ではあるが、この動きは大いに歓迎すべきだ。
筆者は、オシム前日本代表監督が掲げた、「日本サッカーの日本化」という命題を全面的に肯定する者の一人である。が、このことが日本サッカーの閉じこもり傾向を増長する恐れもいだいていた。何度も繰り返すとおり、日本サッカーの実力は世界で50位程度、アジアで10位以内。その歴史は欧州・中南米の1世紀超の歴史と比べれば、はるかに短いものだ。世界から学ぶべき点は数え切れない。にもかかわらず、日本サッカーが閉鎖的な日本の風土に閉じこもれば、進歩も発展もあり得ない。世界を体感することによってしか、「日本サッカーの日本化」は成し遂げられないのだ。
大げさに申せば、真にナショナルなものの発見と創造は、インターナショナルな体験を通じてからしか、成し遂げられない。戦前の日本の狂気のナショナリズムは、「神国日本」という病理的閉じこもり=自国絶対化によって形成された。20世紀初頭、多くの日本の若者たちがいまのように、世界を自由に旅行していたら、日本が無謀な大戦に突き進むような事態は避けられたかもしれない。日本サッカーが「日本式」という神秘性に嵌まり込み、サッカー理論なき「日本化」に拘泥してしまえば、日本サッカーは弱体化するばかりだ。同義反復するならば、「日本サッカーの日本化」達成のための最短手段は、「日本サッカーの世界化」を成し遂げることといえる。
年明け、急転直下に3人の若手の海外移籍が決まった理由は、定かではない。テレビ報道では、財政規模が小さい欧州中堅国のクラブの集客手段として、移籍金が小額の日本人選手が重宝がられる、という意見もあった。果たしてそうなのかどうか、筆者の情報収集力では判断しかねる。とはいえ、若手3人が海外修業で得るものは多いはず。2010年、2014年に向けて、好材料が1つ揃ったことは間違いない。2010年、トップ下・長谷部、左サイド・本田、右サイド・水野の「黄金の中盤」が、南アフリカで実現しているかもしれない。
さて、今月15日、いよいよ日本代表候補合宿が始まる。ここで、岡田代表監督の考え方、代表チームのイメージが始めて提起される。
オシムジャパンを振り返ると、始動から2007年の終わりまでの間、ご存知のとおり、日本代表のキーマンは入れ代わっている。始動期の中心選手は、FWで我那覇、MFで三都主、DFは不在だった。ところが、後期になると両者とも代表から姿を消し、アジア杯におけるキーマンは、FW・高原、MF・中村(俊輔)、DF・阿部の3人となった。
オシムジャパンを通期的かつ安定的に支えた選手を挙げるならば、駒野(右・左サイド)ただ一人。しかし、豊富な運動量を誇る駒野だが、サイドの技術としては不満が残る。しかも、彼は左サイドより右サイドの方が力を発揮する。
日本代表の大きな弱点はFWだと常々言われているが、筆者が不満なのは左SBだ。とりわけ、左利きのSBで、守備力、運動量があり、ロベルトカルロスのようなキック力がある選手ならば最高なのだが・・・三都主が浦和に復帰したものの、4バックの左SBとしては守備が弱い。駒野は右サイドのほうが力を発揮する。山岸(千葉)の左SBは魅力なし・・・
岡田監督は4バックを採用するのか、4バックならば、左SBとしてだれを起用するのか――
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