| 2008年01月06日(日) |
2008年、日本サッカー、衰退の予兆 |
○高原の浦和復帰は日本サッカー先細りの象徴
2008年、明けましておめでとうございます。
年末29日から新年6日まで、トルコのイスタンブール他に観光に行っておりまして、年末年始のスポーツイベントについてはまったくわからない状態です。筆者のイスタンブール滞在は、かの有名なイスタンブールダービー(フェネルバフチェ 2 - 0 ガラタサライ)の終了後。でも、かの地のサポーターの間では興奮冷めやらぬといった状態なのでしょうか、たまたま入った地元の人びとが集まるレストランのテレビでは、ちょうどその試合のダイジェスト番組が放映されておりました。レストランの従業員は仕事そっちのけで熱心に観戦。「カルロス・・・、カルロス・・・」と、トルコ語でつぶやいていました。
帰国後、日本のスポーツ記事をチェックした限りの今年最初のビッグニュースは、高原の浦和入団だと言えましょう。今年、W杯予選を中心とした代表戦のたびごとにドイツから日本に戻るのは体力の消耗も激しいし、ブンデスリーガでベンチ要員ならば、日本代表に選ばれる可能性も低いかもしれません。岡田監督がオシム前監督と同様に「海外組」が必ずしも代表ではないという方針を貫けば、高原の選択は理に適ったものと考えられます。アルゼンチン代表のリケルメは、愛するボカや、母国・アルゼンチンのために、スペインリーグからボカへの移籍を何度か試みたことが報道されていますので、高原のケースもリケルメの場合と似ています。なお、昨年、オーストリアのザルツブルクに在籍していた三都主も、浦和に復帰することが決定していました。
高原・三都主が日本ではなく浦和に戻った本年、各国のトップリーグに所属する日本人選手は、イタリア・セリエAの大黒と森本の2選手と、ドイツの稲本のみ。だが、イタリアの2人は在籍しているものの試合に出られず、レギュラーとは言えません。レギュラークラスとなると、稲本(ドイツ・ブンデスリーグ)、松井(フランス一部リーグ)、中村(スコットランドリーグ)、宮本(オーストリアリーグ)、中田浩(スイスリーグ)を数えるのみとなりました。しかも、ドイツ、フランス以外の国は、必ずしもサッカー一流国とは言い難く、いまの日本人選手の実力は欧州トップリーグで通用しないと断言できそうです。2002年日韓W杯後、多くの日本人選手が海外に渡ったときと比べると、日本人選手の実力が低下したことと日本人選手のマーケティング上の価値が低下したことと相俟って、2008年は日本人選手が欧州強豪国で通用しないことを確認することから始まったと言えます。
このことは、いろいろな理由があるにしても、日本サッカー先細りの象徴以外のなにものでもありません。代表監督の岡田も指導者としては世界レベルから遠く、日本人選手も世界のトップリーグから遠いとなると・・・2008年は残念ながら、サッカーファンにとって悲しい年になりそうな予感がします。
○浦和一極集中
前出のとおり今シーズンに向け果敢な補強をした浦和は、順当に行けば、Jリーグで優勝を果たすことでしょう。ただし、昨シーズンのような大逆転もないわけではありませんから、油断は禁物。となると心配なのは、浦和がJリーグで早々と優勝を決め、リーグ終盤が消化試合になること。Jリーグが盛り上がらなければ、W杯アジア予選が盛り上がることはないでしょう。キリンカップ等の国際親善試合は、代表サポーターが「親善」の真実に気がつけばそれまでのこと。Jリーグ・日本代表のテレビ視聴率、観客動員数が減ること間違いありません。アジア予選を順当に勝ち上がったとしても、日本サッカーの未来はまったく開けていません。
Jリーグに伸び盛りの若手がいるわけではないし、岡田が2010年〜2014年を見越して、W杯予選の結果を出しつつ、若手を育てる力量があるとも思えません。となると、日本サッカーの未来は白紙どころの話ではなくなります。
○答えはすでに出ている――日本サッカーの「日本化」
2002年前後、トルシエ(当時・日本代表監督)が描いた日本サッカーのサイクルは、若手中心で2002年W杯日韓大会に臨み、2006年ドイツ大会で日韓大会以上の成績を上げるものだったはず。トルシエが大会終了後の記者会見でそのことを明言していたことは記憶に新しいと言えます。ヒデ、稲本、鈴木、三都主、中田浩、柳沢、小野、宮本らが2002年を経験することによって、2006年でその上を狙えるはずだった・・・が、結果としては、ドイツ大会は後退現象を引き起こしてしまいました。そのその原因については、既に議論が済んでいます。
では、岡田に2010〜2014年のサイクルが描けているのかといえば、答えは完璧に「ノー」です。なぜならば、この困難なサイクルに着手する気概があるのならば、「W杯ベスト4」などという「はったり」が出るはずがありません。つまり、岡田は日本のサッカーの現実も将来も、何も見えていないのです。
筆者はトルコへの観光旅行の往きの飛行機の中で、「オシム・ジャパン」の足跡を描いたビデオを見ました。このビデオはアジア杯が抜けたオシムジャパン=キリン杯のキャンペーンに過ぎないのですが、オシムの就任の言葉が筆者に強い衝撃を与えました。オシムは当時こう言ったのでした―― 「わかりづらい表現ですが、私のやることは日本サッカーの『日本化』です。日本が強くなるためには、日本人にしかできない、日本のサッカーを完成しなければ・・・」
そのビデオは、オシムの代表就任から2007年までの代表戦において、オシムの言葉が現実となった得点シーンや早いパス回しの場面を映し出していました。
そうだ、答えはすでに出ていたのだ・・・日本が世界に通用する選手を輩出できない時代が数年続いたとしても、換言すれば、与えられた選手の範囲で日本が勝負しなければいけない現実の中で日本が勝つためには、「日本サッカーの日本化」しかその方法がないとのだと・・・
筆者は、オシムがジェフ市原を強くした「走るサッカー」から、その延長線上にあると思われる「考えて走るサッカー」をオシム・ジャパンのコンセプトだと勘違いしていたのだと・・・オシムはもっと広く、そして深いサッカーを描いていたのだと・・・
退屈な飛行機の中の十数分、筆者は創成期のオシム・ジャパンのいくつかの試合で「日本化」が具現化できていることを確認していました。ああ、こういうことなんだなー。
岡田は「オシムさんのサッカーは、オシムさんにしかできない」と就任の挨拶で明言したけれど、まさにそのとおり。岡田には日本サッカーの「日本化」はできないでしょう。
2008年の日本サッカー界――代表の人材は先細り、代表の指導者は力量不足、Jリーグは浦和一極集中、そしてリーグ全体の衰退の開始・・・と、マイナス材料が揃ってしまいました。日本サッカーはどん底・手詰まり状態です。こんなとき何をしたらいいのでしょうか――筆者ならば、岡田をおろして、超世界級の大物を代表監督に起用して活を入れます。2008年の念頭ならば、2010年にまだぎりぎりで間に合うはずです。(文中敬称略)
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