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2007年12月20日(木) 代表監督はサッカーを語れ

――チーム作りの具体的なコンセプトは?

岡田 コンセプトは変わりません。人もボールも動くサッカー。日本人がこれから世界と戦う上である意味、ラグビーでもよく言いましたが、接近、展開、継続というようなコンセプトは変わらないと思っています。ボールと人が動いてできるだけコンタクトを避けた状態で、しかしボールに向かっていく。ディフェンスも待っているんじゃなくて、こちらからプレッシャーをかけていく。これは変わりません。
 ただ、僕がオシムさんのサッカーはできないと言ったのは、サッカーの内容がオシムさん以外、どんな人がやっても、変えようと思わなくても、変わらざるを得ないということです。

(略)

――オシムさんのサッカーが過渡期だと感じられたとおっしゃいましたが、岡田さんなら何を新たに付けていきたいですか?

岡田 今、あんまり言わない方がいいと思います。オシムさんが元気になってから、どこかの雑誌で対談でも企画してください。そのときに僕も聞いてみたいと思っています。

岡田は日本代表監督就任の記者会見でこう述べた。筆者の岡田への失望はこのときから始まった。岡田はことさら、オシムサッカーに係る論評を避けている。同業者同士、互いに批判を避けることが流儀なのだと思う。まして、病に臥している前任者を批判することは一般常識上あり得ない。もちろん、筆者はそのような事情を承知している。筆者が期待したのは、前任者に対する直接的批判ではない。

岡田はオシムサッカーを後継することは不可能だと言いながら、なぜ、自分のサッカーのオリジナルイメージを言語化しないのか。おそらく、そのイメージがないからに違いない。だから、岡田は、オシムが語り、オシムがやろうとしたスタイルの一部を「切り取って」言語化したのだ。この程度のコメントなら、素人にだってできる。サッカーに関心のある者であれば、「人とボールが動く」という表現が、オシムのそれであることを知っている。オシムは自分のサッカーのイメージを持っているから、それを自分の言葉で表現できる。岡田にはそれがない。

就任会見で岡田は、自分のサッカーはオシムのサッカーでないことを暗示した。さらに、岡田は、オシムのサッカーに付加する内容については、いまは言えない、と言った。つまり、岡田はオシムのではなく、自分のサッカーをやると意思表示しながら、いまこの場では、具体的に言えないと。

岡田は、オシムが病に臥している限り(オシムに遠慮して)、自分のサッカーに対するイメージを言わないというのだろうか。言わないが、代表のサッカーを見てくれればわかると。だが、もしそうだとすると、岡田の姿勢は間違っている。

なぜならば、日本代表監督は日本サッカー文化の牽引者だからだ。代表監督は、日本代表のあり方を豊富な言語表現をもって日本国民に伝え、国民の関心を喚起し、日本のスポーツ(サッカー)文化を活性化しなければならない。曖昧で断言を避け、リスクを負わない――どこかの政治家のような――コメントは、日本代表監督から聞きたくない。日本のプロサッカーはまだ始まったばかりなのだ。

わくわくするようなサッカーイメージを語れなければ、わくわくするようなサッカーは永遠に実践されない。表現において、意図しない作品は、結果優れていたとしても、芸術とは呼ばない。はじめから「偶然」の勝利を志向しているような監督は、監督ではない。勝つイメージを抱き、それを明確に言語化し、その言葉に責任を負うような監督を戴かない限り、日本サッカーは向上しない。

いきなり、大きな目標を掲げ、その方法もなく、実際は強豪相手に「偶然」の勝利を望み、僅差の負け(=惜敗)に満足するような日本代表であってはならない。国民の前で、自分のサッカーを語れない代表監督はいらない。(文中・敬称略)


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