サッカークラブ王者世界一決定戦では浦和がセパハンに勝利してACミランとの対戦を決めた。この結果こそ、日本中のサッカーファンが待ち望んだもの。例年、活気のない本大会が今年は大盛り上がり。まずはめでたしか。
筆者は別のコラムで書いたとおり、エトワールサヘル(チュニジア)を応援しているので、サヘルが中南米王者パチュ−カに勝利したことに満足している。
サヘルはチュニジアのクラブだけれど、アフリカ各国の代表選手が主力を構成している。強いクラブをつくるためには豊富な資金が必要なのはアフリカとて同じであって、チュニジアの経済成長がサヘル勝利の背景にある。
戦前の予想はパチューカ優位だった。正直言って筆者もサヘルが勝つとは思っていなかった。パチュ−カはFIFAランキング15位前後のメキシコのクラブだし、中南米の代表クラスを抱えた多国籍軍で、しかも、経験豊かな選手が多い。メキシコ・リーグは資金が潤沢とのことで、周辺の実力者が同リーグに集まるらしい。
筆者はメキシコサッカーに興味を持っている。メキシコ人は身長・体重において日本人と変わらない。にもかかわらず、世界の強豪国の一角を占め続けている。古い話だけれど、1968年のメキシコ五輪で日本代表が開催国メキシコを破り、銅メダルを獲得したことは奇跡とさえいえる快挙だった。体格で日本と変わらないメキシコが強い理由はどこにあるのか、日本はメキシコサッカーから学ぶところが多いのではないか・・・
さて、ここで試合経過を振り返るまでもなく、パチューカは試合を終始コントロールし、しかも、決定機の数で上回りながら、得点が上げられなかった。一方のサヘルは、やけっぱちで放ったミドルシュートがパチュ−カディフェンダーの体に当たりコースが変わって、相手GKが反応できず得点した。結局、この1点がサヘルに勝利をもたらせた。強豪国同士の対戦では守備が大切なことは言うまでもない。さはさりながら、決定的チャンスがバーやポストに当たって得点にならない場合や、微妙なオフサイドの判定などが試合中に何度か起きた場合は、ゲームをコントロールしていても、その試合を失う場合が多い。神が見放すのか悪魔が邪魔をするのかわからないが、サッカーにはそのような試合が多い。
先に行われたJリーグ入れ替え戦・広島vs京都の第二試合もそうだった。第一試合、2−1でアウエーゲームを失った広島だが、ホームにて1−0で勝てばJ1残留が可能だった。広島は試合をコントロールしたものの、決定機のシュートがバーを叩き得点にならなかった。広島にとって不運、京都にとって幸運だった。結果、京都は狂喜し広島は涙に沈んだ。
サッカーの試合には悪魔が潜みどちらかの足を引っ張るのか、あるいは、女神が気まぐれにどちらかに微笑む。サッカーというよりもスポーツに「同じ試合」が存在することがない。そのときどきの条件で内容も結果も異なる。サヘルが本大会で勝ったからといって、アフリカの方が中南米より実力が上だとはいえない。パチューカの敗戦は本大会に限定されたものであって、次はどうなるかわからない。浦和がミランを破る可能性もある。
話は飛ぶけれど、サッカークラブ王者世界一決定戦は過渡期のイベントだと思う。大陸レベルのクラブ選手権が定着したいま、クラブ世界一もW杯と同じくらいの規模とはいかないまでも、予選リーグと決勝トーナメントを抱えるくらいの規模を維持してもらいたい。
開催時期は12月なのかどうか。常に日本開催ではなく、各国もちまわりで、2年に1回くらいということも考えられる。確率は低いけれど、ボカがホームでACミランを迎え撃つというのもいい。開催国(クラブ)枠もそうなれば意味がある。たとえば、韓国開催ならばKリーグ優勝クラブ、英国開催ならば英国プレミアリーグ優勝クラブが無条件で出場できる。マンチェスターでマンチェスターUNとサンパウロの決勝戦が見られる可能性もある。日本開催はあくまでも暫定的なものだ。「クラブ世界一決定戦」は、可能性が残されたサッカーイベントであることだけは確か。
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