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2007年11月28日(水) 技術委員会の説明は、説明にならない

サッカー協会の技術委員会が発表した新監督要請の選考基準は、一般的・抽象的すぎる。技術委員会が掲げた事項は、(1)オシム監督の築いた土台の上に個性、色を付けられること、(2)強烈な求心力、(3)コミュニケーションの取りやすさ――の3点。

一つ一つ見てみよう。
(2)は代表監督にとって当たり前のこと。(1)(3)がポストオシムの特殊性だろう。岡田がオシムの築いた土台に花を咲かせられるかどうかを判断する技術的説明が要る。筆者には岡田のサッカー理論とオシムのそれとはかなりの乖離があるように思える。というよりも、岡田に目指すべきサッカースタイルがあるのかどうかが疑わしい。98年フランス大会の予選3試合、日本は勝点ゼロだった。対戦相手はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ。得点はグループリーグ敗退が決定した後のジャマイカ戦の1点のみ。アルゼンチン、クロアチアに共に1−0で負けている。W杯初陣の日本が3連敗するのは当然という見方もあるし、環境面で劣る初陣ジャマイカに負けたのは監督の責任という見方もできる。

とにかく、98年当時の日本代表については、選手・監督ともに経験がなく、中田英ただ一人の才能が世界に認知された大会だった。この年はいろいろな意味で、日本サッカーが世界に向けて第一歩を踏み出した記念すべき年であったとは言える。

(3)はもしかすると、言葉の問題かもしれない。日本語がわからない外国人には、「日本的特殊性」が理解しにくい、というわけか。はたしてそうなのか。協会の本音は、外国人には「日本サッカー協会」の特殊性が理解されない、ということではないのか。日本サッカー協会が自由に操れる代表監督として、岡田が適任だというのならば、この人選は間違っている。

(2)についても疑問だ。岡田に求心力があるのかないのか、サッカー選手でないのでわかりにくい。確かにW杯に出場した唯一の日本人代表監督ではあるが、だから、岡田にカリスマ性があるのかどうか――筆者は大いに疑問をもっている。

このたびの人選を一言で言えば、98年への逆行のように思える。オシムが病に臥したのは誠に残念なこと。協会にとって想定外のできごと。こうした危機の対処方法として、日本サッカー協会が講じることができる方策は、いろいろな手を尽くすことよりも、あれこれ考えるよりは「岡田でいい」というところに帰着していないか。98年のアジア予選までは「岡田」がよく機能し、運良く予選突破することに成功した。これをもって成功事例とするのならば、協会の判断は間違っている。当時に比べて、アジアのレベルは信じられないくらい、上がっている。難敵オーストラリアもアジアに入った。

「困ったときの岡田頼み」は二番煎じのように思えてならない。


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