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2007年11月27日(火) なぜ岡田監督なのか、その理由が知りたい

報道によると、日本サッカー協会は27日、急性脳梗塞(こうそく)で入院中の日本代表イビチャ・オシム監督(66)の後任として、元日本代表監督の岡田武史(51)に監督就任を要請したことを正式に明らかにした。岡田が就任を受け入れる見通しが高く、“岡田ジャパン”が正式誕生するのは時間の問題らしい。 

この人事を平凡に受け入れれば、日本サッカー協会は最も無難な人選をした、ということになる。岡田が後任者として適格性に欠けるとはいわないが、最良の人選ともいえない。協会は自らに最も批判・非難が及ばない選択をしたという見方もできる。

世界のサッカー界において、日本代表監督の座が魅力的でないかそうでないかといえば、筆者の直感では「悪くない」地位だと確信している。手元にデータはないが、代表監督のギャラからすれば、「日本の監督」は高い部類に属するのではないか。

サッカー日本代表監督に就任した外国人代表監督は、オフト(オランダ)、ファルカン(ブラジル)、トルシエ(フランス)、ジーコ(ブラジル)の4人。オフトは、「ドーハの悲劇」で記憶されている94年W杯アメリカ大会アジア地区予選突破に失敗をした。ファルカンは、94年にオフトの後任者として就任したものの早々に解任された。トルシエは、02年日韓大会でベスト16入りを果たしたものの、決勝トーナメントでトルコに完敗し、ベスト4入りを果たした共同開催国・韓国の後塵を拝した。トルシエの後任ジーコは、06年ドイツ大会アジア予選を突破したものの、本戦の予選リーグで1勝もできなかった。日韓大会(ホーム)ベスト16のトルシエを例外として、残り3人は実績を上げていない。

だから、代表監督は日本人でいい、という論理は短絡的過ぎる。日本サッカーの現在の実力はFIFAランキングで30位前後だけれど、筆者のランキングでは50位前後。ビッグネームが就任したからといって、W杯本戦で勝ち進むことはあり得ない。もちろんそれはそうなのだが、だから、代表監督はどうでもいい、というわけにもいかない。代表監督に課せられた第一の使命がW杯予選突破であることを筆者も否定しないが、そのことよりも、代表監督が日本サッカー全体に与える影響力を重要視すべきなのだ。サッカー発展途上国のわが国において、代表監督次第で、サッカー水準が前進もすれば後退もする。当コラムで何度も書いてきたけれど、オシムの前任者であるジーコの4年間は、日本サッカーの停滞期〜後退期に当たる。日本サッカーは、貴重な4年間を浪費した。

反対にオシムの代表監督によって、日本人はサッカーの豊饒さを手に入れようとしていた。オシムの“サッカーは人生だ”というコメントに、日本人の多くがその意味の深さに気づこうとしていた。そして、テレビ局が仕組んだボクシングやバレーボールのスポーツ中継スタイルの浅はかさに距離をおくことができた。日本人の多くが、スポーツ文化の受け入れに対して、幼い子供から、青年くらいに成長してきた。そしてまさにその矢先、オシムは倒れた・・・

いま現在とは、W杯南アフリカ大会に向け、地区予選の組合せが決定した段階。本番に向け、世界が動き出した、というよりも、南米ではすでにW杯予選が始まっている。後任監督の選任に一刻の猶予もない――ことを認めよう。だが、だからといって、岡田を後任とする説明がつかない。協会は「後任・岡田」の理由に係る説明責任を果たしていない。筆者は、その意味で、協会の「岡田要請発表」に納得していないのだ。

同義反復すれば、技術委員会なるものが日本サッカー協会に組織されているのならば、この委員会に求められる最も重要な仕事は、「後任岡田」であることの十分な説明である。技術委員会の仕事とは、オシムサッカーとは何なのか、そして、その完成予想図(最終目標)に対していまどれくらいの進行状況にあるか――を説明することに尽きる。オシムサッカーの完成(=頂点)をレベル10とするならば、いま現在はレベル4なのかレベル6なのか、そして、(たとえば)残り6を達成するために、岡田は必要な資質をもっているのかどうか。

日本サッカー協会がオシム後任について人事を尽くしたかどうか疑わしい。「探すのが面倒くさいから岡田だ」というのでは情けない。外国人監督は日本サッカーの内情に暗いからダメだ、というのも説明にならない。世界を渡り歩く一流の指導者は、サッカーを取り巻く環境やプレイヤーの気質、文化、習慣、価値観・精神風土を即座に理解するといわれる。ボールの蹴り方や、点の取り方を教えるだけが指導者の仕事ではない。

かつて、日本サッカー協会はオフトの後任としてファルカンを選びながら、彼を早々にクビにし、加茂を代表監督に就任させた。ところが、予選途上で加茂を見切り、岡田を代表監督に据えた。ファルカンのクビを切ったとき、協会は“外国人はわからない、代表監督は日本人でなければだめだ”と言ったといわれている。

あれから12年以上の年月が流れた。日本サッカー協会に狭隘な排他主義や民族主義が復活していないか――筆者は大いに心配をしている。
(文中敬称略)


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