| 2007年10月13日(土) |
亀田ファミリーに厳正な処分を |
報道により、亀田が犯した反則の内容が明らかになってきた。最も目立ったのが、最終ラウンドのレスリング行為(減点3)だったが、それ以外にも度重なる反則行為として、▽サミング、▽ローブロー(太ももをたたく)、▽エルボー(ひじでの打撃)、▽首絞め、▽スリップダウン時の攻撃…王者・内藤は「反則のオンパレード。うやむやに終えることはできない」と訴えたという。
それだけではない。試合前のレフェリーのルール説明の時に、突進してきた史郎トレーナーが突っ掛かってきて、「てめえ、このやろう」と脅してきたらしい。父・史郎トレーナーの威嚇行為だ。この場面の異常さはTVでも確認できたが、何を言ったのかはわからなかったのだが、王者・内藤の試合後のコメントを確認して驚いた。常識ではあり得ない行為だ。日本のボクシング界においては、レフェリーのルール説明まではお互いをリスペクトし合い、スポーツマン精神に則り、全力で戦うことを確認することが通例だ。それに反して、「てめえ、このやろう」と脅してきたというのは、日本の長いボクシングの歴史においてあり得なかった蛮行だ。この行為だけでも、史郎トレーナーのライセンスは剥奪されるべきだ。
ルール違反ではないが、判定後の亀田側の行為も見苦しかった。敗者は勝者の実力を讃え、勝者は敗者の善戦を讃えることは、規定にはないが、スポーツマンの最低限のルールではないか。筆者は試合終了のゴングが鳴り終わった後、互いの健闘を讃えあう選手同士の表情が好きだし、それこそスポーツ観戦の――とりわけ格闘技観戦のハイライトの1つではないか。K1等の格闘技で外国人選手が試合前に相手選手の悪口を言うが、あれは本気ではない。パフォーマンスだ。コメントしたほうもされたほうも意に介することはない。試合終了のゴングが鳴れば、互いに健闘を讃えあうのが常だ。亀田側はそれもせず、そそくさとリングから立ち去った。ゼニ儲けが終わったのだから長居は無用――の態度がミエミエだった。
筆者はこれまで、亀田ファミリーのヒール(悪役)ぶりはテレビ局と史郎トレーナーが仕掛ける企画・演出だと思ってきた。ところが、内藤戦における亀田側の言動、そして、先述した威嚇行為、試合中の反則行為を振り返ってみて、彼らは敢えてヒールを演じているのではなく、本当にヒールなのだ、と確信するに至った。この一家はボクシング(格闘技)をやる精神構造をもっていないし、格闘技に欠くことが許されない「心」を修練することもなかった。もしかすると、彼らは目の前の相手を潰すことしか考えていないのではないか、彼らは戦う機械なのではないか――と思うに至った。
報道によると、王者・内藤は、「ボクシングは町のけんかではなく、スポーツなんですから」と怒りを交えてコメントしたらしい。筆者は、王者・内藤の試合後の態度、コメントに救われる思いだ。彼は、善良な、そして、スポーツ文化を愛する国民的期待を背負い、戦う機械を排除した。喧嘩と格闘スポーツの截然たる境界を理解することのない野蛮な今日的な暴力信仰者を退けた。王者・内藤が守ったのはボクシングだけではない。視聴率至上主義のテレビ局と暴力集団から、日本人のモラルと文化を守ったのだ。
プロボクシングを統括する団体は、自らをスポーツ文化の牽引団体だと自任するのならば、亀田ファミリーに厳正な処分をくだすべきだ。カネ、反則、威嚇行為で汚れた亀田ファミリーをボクシング界から追放すべきだ。亀田ファミリーの悪行の数々をこれ以上見逃すことは、それこそ、国民の期待に反している。
試合前、父・史郎トレーナーは、王者・内藤を「ゴキブリ」と侮辱したうえ、「負けたら切腹する」と言い放ったという。切腹をしてもらいたいものだ。というよりも、スポーツマンは試合のすべてを勝つことができない。いかなる世界王者であっても、負けと勝ちを経験する。負けは恥でもなければ、失敗でもない。敗北や失敗から人は多くを学ぶ。
亀田ファミリーが敗北をきらうのは、彼らが戦う機械にすぎないからだ。負ければ機械はお払い箱になる。彼らにはボクシングしかない。だから、いまのうちに稼ぐだけ稼いで、引退後は何もしないで暮らそうと思っているのかもしれない。しかし、そんなことはあり得ない。経済的にはあり得ても、亀田兄弟は若い。彼らには第二、第三の人生が残されている。戦う機械のまま終われば、戦えなくなったとき、精神の荒廃が兄弟を襲う。史郎トレーナーはそのことを、父親としてわかっているのだろうか。
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