| 2007年08月15日(水) |
始まった負のスパイラル―千葉崩壊― |
アジア杯以降、当コラムでは連続して千葉(の崩壊)に関して書き続けている。その理由は、言うまでもなく、筆者が千葉の熱烈なファンだからだ。
筆者は、オシムというバルカン半島からやってきた大柄な人物が千葉の監督に就任したとき、正直、さほど注目しなかった。もちろん、オシムが旧ユーゴスラビアの代表監督を務めたことは知識としてあったのだけれど、それは大きな驚きではなかった。というのも、Jリーグでは、大物監督は珍しい存在ではない。現在、英国プレミアリーグを代表する監督の1人・ベンゲルは、かつて名古屋の監督だった。後にブラジル、ポルトガルの代表監督を務めたフェリペ・スコラ−リが磐田の監督だったし、サンタナ、レオンといったブラジル人監督がJリーグのクラブの監督だった。アルゼンチンからはアルディレスがきていたし、東欧からはDrことベングロッシュがそういえば市原(千葉の前身)の監督だった。ことほどさように、代表監督と同程度の力量を誇った外国人監督が何人もJリーグにやってきていた。だからそのとき、オシムにことさら注目するほど、筆者の目は肥えていなかった。
筆者の驚きは、オシム就任後の千葉の快進撃だった。千葉のスタイルは、それまでのJリーグのものとは違った。無名の若手を従えた「オシム千葉」は、Jリーグで旋風を巻き起こした。千葉の台頭は、大げさにたとえれば、日本文学史上のニューウエーブ――たとえば、「白樺派」の登場に似ていた。
ゲーム内容以外でも、オシム監督は筆者の関心をひいた。オシムは、「ミスター千葉」と言われた中心選手の一人・中西を退団させた。続いてのサプライズは、当時のエース・FWのチェヨンス、左サイドの村井、DF茶野の3人の主力をまとめて磐田に放出したのだ。にもかかわらず、千葉は順位を下げるどころか、若手がその穴を埋め、Jリーグの上位を占めるチームに成長していた。千葉の主力は、いつのまにか、阿部を中心に、坂本、巻、佐藤、羽生らに移り、さらに、水本、水野、山岸らがその後を追っていた。千葉の未来は前途洋洋と輝いて見えた。
ところが、06年W杯ドイツ大会で日本代表が惨敗。オシムが代表監督に就任し、その息子アマル・オシムが千葉の監督に就任してから流れが変わった。07年には、阿部が浦和に、坂本が新潟に移籍した。さらに、千葉をサポートしてきた外国人選手が抜け、チームの弱体化が始まった。加えて、主力に成長した巻、水野、山岸、羽生、佐藤が代表に呼ばれるようになり、彼らの負担が増え、疲労の蓄積、ケガによる欠場が増えた。
07年シーズン、アジア杯中断後の再開2試合、千葉は川崎、鹿島と戦い、2試合とも1−3で完敗した。試合展開は、前半千葉が1点を先制しながら、後半に3点をとられるという酷いものだった。千葉のサッカーは45分しかもたなくなった。
先制すると、自然にラインが後退し、プレスが利かなくなり、段々と相手に押し込まれ、相手をフリーにし、いい形でシュートを打たれたり、決定的なパスを出される。それだけではない。2試合に共通するのは、選手が交代するたびごとに攻守のバランスが崩れ、相手に追加得点を許すことだ。筆者はアマル監督の選手交代の成功事例を見たことがない。
千葉の守備崩壊の原因を探すことはさほど、難しくない。それまでラインを統率し、後方から攻撃を構築してきた、ストヤノフの不在である。ストヤノフが千葉を去った理由は、アマル・オシム批判である。そのストヤノフはなんと、広島に移籍する。まさか!
先の当コラムで筆者は、「クラブ責任者が早く決断しないと、千葉は間違いなく今シーズンで崩壊する」と記した。千葉がJ2に落ちれば、第二の「ヴェルディ」になる。J2に落ちれば、巻、水野、山岸、水本、羽生の代表クラスはJ1の他クラブへ移籍する。彼らが去った千葉が、1年でJ1に復帰する見込みはまずない。それでなくとも財政基盤の脆い千葉だから、いま以上の選手を補強してJ2を制する確率は低い。となれば、負のスパイラルに巻き込まれ、千葉というクラブ自体が存在し得なくなる。
クラブ責任者は、ストヤノフ事件の際に、ストヤノフではなくアマルを選択した。その結果、アマル解任のチャンスを逃し、ストヤノフを広島にもっていかれた。もうすでに、負のスパイラルが始まっているではないか。今季残された試合数は、千葉崩壊のカウントダウンに等しい。どうする、千葉!
|