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2007年08月01日(水) 萎縮する日本代表―相手よりも監督が恐いのか

●「ドーハの悲劇」の思い出

アジア杯が終わった。優勝はイラク。イラクといえば、日本のサッカーファンを悲嘆の底に沈めた、「ドーハの悲劇」の一方の主人公だ。1993年10月28日、カタールのドーハで行われた1994年アメリカワールドカップアジア地区最終予選の最終試合、日本がイラクに勝てば、W杯アメリカ大会出場が決まる。日本が1点リードで迎えたロスタイム、イラクがコーナーキックを得る。ショートコーナーから日本のゴール前に放たれたクロスをイラクの選手が頭で合わせると、ボールは無情にも日本のゴールネットを揺らす。倒れこむ日本選手、試合終了を告げる笛・・・日本のW杯初出場の夢が砕かれた。

あれから十余年、2007年アジア杯開催のとき、イラクは深刻な内戦状態にある。爆弾テロで多くの市民が命を落としている。そんな困難な国情の中、イラクはアジア杯を制した。イラクの優勝には、イラク国民の生命が宿っている。イラクの決勝の相手はサウジアラビアだ。サウジアラビアは日本から3点を奪った強豪だ。そのサウジアラビアがイラクに完封された。イラク代表の力はどこから漲るのだろうか――“神がかり”という表現はなじまないが、それと似たような強さが漲っていた――イラク国民の生命こそがその源なのだ。

●アンラッキーボーイ

このたびのアジア杯は不思議な、因縁めいた大会だった。冒頭に記したように、優勝したイラクは、十余年前、日本代表のW杯初出場の夢を砕いたチームだったし、次回アジア杯は、なんと、そのドーハ(カタール)で開催されるという。それだけではない。本大会の初戦、日本が1点リードで迎えたタイムアップ直前、同点のゴールを決められた相手チームは、カタールだった。この試合を見た日本人は、「ドーハの悲劇」を思い出したに違いない。

因縁その2――この試合(初戦のカタール戦)で同点に追いつかれるきっかけとなったファウルを犯した「戦犯」は、オシムチルドレンのDF阿部、そして、日本の最終戦(3位決定戦)、サドゥンレスのPKを失敗したのも、オシムチルドレンの羽生だった。本大会における日本代表の最初(初戦)と最後(最終戦)、オシム監督は愛弟子に足を引っ張られた。もちろん、オシムチルドレンに「日本4位」の責任を帰すつもりはないが、彼らにツキがなかったことも事実。さながら羽生は“ラッキーボーイ”ならぬ“アンラッキーボーイ”。羽生のシュートはバーに当たったり、相手GKの奇跡的美技に阻まれたりして得点に至らなかった。考えてみれば、ベスト4を賭けたオーストラリアとのPK戦で日本が勝ったとき、この大会の“運”を使い果たしてしまったのかもしれない。その次のサウジアラビア戦で2−3で負け、さらに3位決定戦の韓国戦もPK戦で負けてしまった。

●PK戦の勝ちは勝ちではない

決勝トーナメントに入って3試合を戦った日本だが、内容は悪かった。相手チームに退場者が出た試合が2試合ありながら勝てなかった事実は、日本代表の弱さを象徴している。点を取らなければサッカーは勝てない。何試合のうち一度くらいはPK戦で勝てるかもしれないが、「PK戦の負けは負けではない(オシム監督)」のだから、「PK戦の勝ちも勝ちではない」のだ。

オシム監督は攻撃的サッカー、エレガントなサッカーを志向するというが、本大会では、そのどちらも見受けられなかった。相手の守備に対して、バックパス、横パスばかり。バスケットボールならば、タイムオーバーの反則だ。サイドチェンジといえば聞こえがいいが、ようするに、相手のいないところにパスを出しているにすぎない。ボールポゼッションは高いが、自陣でボールを回している時間が長いだけ。相手のカウンターを警戒しているというよりも、恐れすぎ、相手に敬意を表しすぎている。

ミスを犯せば、監督に怒られる、ならば・・・と選手は萎縮して、情熱をもってサッカーをしていない。見ていて楽しくないのだ。いまの日本代表はオシム監督ばかりが目立って、選手の影が薄すぎる。オシム語録は面白いのかもしれないが、筆者はオシム監督の言葉が聞きたいわけではない。何よりも、おもしろいサッカーが見たいのだ。監督の仕事とは、選手が伸び伸びとピッチ上でプレーできるようにすることではないのか。日本の選手は、相手チームよりもオシム監督の顔色をうかがっているかのようだ。監督にプレッシャーやストレスを感じているようでは勝てない。今回のアジア杯は、日本代表の“暗さ”が目立った大会だった。


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