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2007年03月16日(金) 「アマ」で儲ける高校と新聞社

日本にはNPBに属さない、巨大な野球機構が存在することは既に書いた。その存在とは、高校野球を統括する高野連のことだ。高野連は日本体育協会にも属さない独自の組織で、通称・甲子園大会(春の選抜/毎日後援、夏の大会/朝日後援)を主催している。この大会を目指して、日本全国津々浦々の高校が、野球部員を集め、優秀な指導者を求め、練習設備を整備し、過酷な予選を勝ち抜くため、野球部強化に努めている。全国に張り巡らされたスカウト網を通じ、高校入学というよりも野球部に入部した高校生は授業免除(集中補講により通常の授業は受けない)、学費免除等の特別待遇を受け、寮費を免除され、ひたすら野球技術向上に励むのである。このシステムは大学、社会人でほぼ踏襲されている。大学の場合はスポーツ特待制度が整備されていて、通常の入試とは異なる方法でスポーツ選手が選抜される。平たく言えば、スポーツで優秀な者は、スポーツ枠で大学の入学が許され、彼らは4年間講義に出席することもなく、学費を免除され、実態上、卒業試験も免除され、卒業していくのである。

アマチュアスポーツの辞典上の定義は、「専門ではないこと」「報酬を受けないこと」などであろうが、日本のアマチュア野球を構成する高校生、大学生、社会人は、月々の報酬こそ所属する団体(高校・大学・企業)から受け取っていないが、それ以外の待遇において、プロと選ぶところはない。海外のクラブが育成する未成年のスポーツ選手の場合(もちろん彼らはプロ契約である)、クラブが学費を負担し学校に通わせ、共同住宅に住まわせ、練習と試合を通じて、育成を図る。ここまでは、日本のアマである高校野球と似ているが、最も異なる点は、クラブが試合に出場した選手(未成年者)にきちんと報酬を支払う点である。日本の「アマ野球」を支配する高校側は、高校野球で得た知名度で学生を集めるにも関わらず、学校経営に利益を齎す野球部員(しばしば「球児」と呼ばれるのだが)に対し、一切、報酬を支払わない。野球部員はあくまでも純粋アマチュアであり、サークル活動として好きな野球をやり、甲子園に出ることを夢見る理想的高校生なのである。そんな純粋な高校生に高校経営者が報酬を支払うなどはもってのほか、彼らの青春を汚してはならないというわけだ。

ここまでくれば、日本の「アマ野球」を代表する高校野球の主催側(高野連、高校、新聞社等)は、アマのブランドを不当に表示し、野球部員を学校経営の一助とし、併せて新聞の拡販に利する輩であることは明々白々であろう。もしも、日本において、欧米、南米等のサッカークラブのように、プロ球団が学校スポーツをスルーして直接、若者をスカウトし育成するようになれば、高野連がいまほどの社会的勢力を維持することは不可能であり、その社会的存在意義は薄れていく。と同時に、新聞社の拡販も停滞するというわけだ。つまり、いまのところの高野連側の目論見としては、プロ野球(球団)による、一極的野球支配をいかに排除するかということになる。

日本の野球界は、「アマ」は主に学校を基盤とし、プロが読売新聞社を基盤として発展してきた。その間、プロが「アマ側」にしばしば、ちょっかいを出して、優秀な「アマ」選手の獲得のため、「アマ」の領域を侵してきた。「アマ」側は、そのたびごとにプロ側に対して「アマチュア精神」を踏みにじる行為として、新聞を使って、ヒステリックな批判を繰り返してきた。

「アマ」側がいうアマ精神など不当表示にすぎないのだが、「アマ」の利権を守るため、高野連等は「アマチュア精神」遵守を金科玉条のごとく持ち出すのである。そして、「アマ」が純粋であるかのごとく信じられている日本社会では、「アマ」の主張を拡大再生産する巨大新聞社の大声によって、その主張を極めて正当なものとみなしてきたのである。

馬鹿馬鹿しいとはこのことだ。虚しさが漂う。「アマ」は正当な報酬を支払わずに高校生に野球をやらせ、新聞社は高校生の野球大会を大々的に報道して新聞拡販に利用する。そんな「アマ」精神が純であろうはずがない。むしろ、高校生が行った試合に対して、それ相応の報酬を支払った方がいい。甲子園大会を楽しんだ観客、テレビ視聴者は、そのエンターテインメント料金を主催者を通じて、高校生(選手)に支払うことが正当ではないか。

今回発覚した西武球団の裏金事件は、本来はプロである見かけ上の「アマ」の高校生に、プロ球団が正当な報酬を支払っただけにすぎない。ただし「裏」でだが。本来は、プロに報酬を支払ったにすぎない自然な行為が、日本の「アマ野球」では、犯罪であるかのように扱われるのである。西武球団に非があるとすれば、球団が本来行うべき選手育成のための努力を怠り、高校側に育成費の支払をネグレクトした点だろう。かりに西武側が高校側及び指導者にそれ相応の金銭等を支払っていたのなら、西武に非はない。

経済合理性に従えば、プロ球団が選手育成を高校に委託するのならば、高校側に委託費を支払うべきである。それをしないで、球団自らが選手育成を行うのならば、育成システムを構築しなければならない。育成システムは急にはできない。システム構築費用は馬鹿にならないだろう。

プロ球団は、全国的に配置された高校に選手育成をアウトソーシングし、その費用を高校側に支払うことなく、プロに入る高校生に対し、契約金として支払っている。おそらく、プロ球団側は高校生への報酬のみならず、指導者・関係者に対して、それ相応の謝礼を渡していると思われるのだが、その金銭は表面には現れることなく裏にまわっている。

こうして建前の「アマ」は実態上、プロと交渉をもっていて、裏で経済活動を行っている。裏にまわった費用は価格が不透明であり、会計上、税務上の処理は不透明なままだ。日本の野球界は、グローバルなスポーツ体系とは隔たっていて、建前により独自に権威と秩序と経済活動を維持してきた。そして、両者の境界上に発生するものに対して、とりわけ、経済行為については、裏で処理してきた。それが、今回の自由枠に係る裏金問題の本質だ。筆者は、「プロ」と「アマ」の建前の壁を取り払った方がフェアだと思う。優秀なプロ入り前の人材を巡って利権が発生しないよう、選手の入団に関する制度はシンプルな方がいいと思う。優秀な選手がとりあえず、しがらみを排して公平にプロ球団に入団することで、裏の経済を封ずることができるだろう。

日本では、建前の「アマ」を熱心にサポートする甲子園フリークがいることも事実なので、その人たちの趣味を奪うこともできない。ただ、盲目的な甲子園フリークがアマ幻想から目覚め、新聞社が仕組んだアマ野球劇場に興味を失うようになれば、学校スポーツが常識的なサークル活動に落ち着くようになる。

プロの「巨人軍幻想」が消滅するまで70年を要したように、甲子園幻想が消滅する年限は、気が遠くなるほど長いかもしれない。しかしながら、インターネット等のメディアの多様化は、新聞社が築き上げた一見強固に見えるアマ幻想を一挙に消滅させる威力がある。そうなれば、プロの最強リーグを頂点に、スポーツの水準を審級とした、スポーツ体系が構築されるようになる。高校生だからアマで高い報酬がもらえないという矛盾は排される。世界のサッカー選手の中には、17〜18歳でその国の最高リーグにデビューし、成人選手より高いギャラを得ている者がいくらでもいる。


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