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2007年01月14日(日) ベッカム移籍と中田英のこと

元イングランド代表主将のベッカムが、今夏から米メジャー・リーグ・サッカー(MLS)のロサンゼルス・ギャラクシーに移籍することが決まった。その前に元ポルトガル代表のルイス・フィーゴがサウジアラビアのアルイテハドに移籍している。元ブラジル代表のロナウドもレアル・マドリード(スペイン)を退団し中東のどこかの国でプレーする可能性があると報じられている。

ベッカム、フィーゴ、ロナウドの3人とも世界レベルのサッカー選手で、レアル・マドリードに在籍したことで共通している。レアル・マドリードは多額の移籍金を支払って、世界レベルのサッカー選手を多数集めたけれど、リーガでまたく結果を出せなかった。そのことの反省を踏まえ、規律重視のチームづくりに変更しようとしているという。技術の高い「個」を寄せ集めても、サッカーは勝てないことが遅まきながら証明されたわけだ。

解体寸前のレアル・マドリードを目の当たりにして、筆者の頭の中に、2人のサッカー関係者が思い浮かんだ。一人目はジーコ、そして、もう一人は中田英だ。

ジーコはブラジル代表から欧州(イタリア)に渡り、現役を日本のJリーグ(鹿島アントラーズ)で終えている。鹿島アントラーズ時代、ジーコは選手兼コーチとして、プロサッカー選手として必要なもののすべてを日本人Jリーガーに伝授したと報道されている。やがて、ジーコは、鹿島アントラーズのGMを経て、日本代表監督の座を射止めた。

サッカー先進国の名選手が、サッカー発展途上国のリーグで現役を終え、その次のステップとして、新たに指導者、監督、コーチの道を歩み始めることは珍しいことではない。ジーコに限らず、Jリーグ関係者では、ストイチコフ(ブルガリア代表⇒柏⇒同国代表監督)、リトバルスキー(西ドイツ代表⇒市原⇒FC東京監督)、ストイコビッチ(ユーゴスラビア代表⇒名古屋⇒セルビアサッカー協会会長)、ハシェック(チェコスロバキア代表⇒広島⇒神戸監督)、ブッフバルト(西ドイツ代表⇒浦和⇒浦和監督)・・・らの各国の元代表選手がJリーグでプレーし、そして、引退後、監督や協会役員の地位を得ている。グローバル化が進むサッカーでは珍しいことではない。

中田英の場合は、こうした前例にまったく反している。筆者は、中田英の引退報道があったとき、当コラムにおいて、中田英の就職先は、おそらく、Jリーグ(日本)がMLS(米国)しかないはずだ、と書いた。中田英がボルトンで活躍できず、再チャレンジで挑んだ独W杯において、彼の属した日本代表が予選リーグで敗退した瞬間、中田英の欧州市場における商品価値はゼロとなった。中田英には足の故障という内在的要因を除けば、その活躍の場は、日本と米国だけだったにもかかわらず、どちらの場の可能性を探ることもなかった。サッカー界からあっさりと、引退をしてしまった。その理由は、外部の者にはわからないのだが、彼が汗臭いサッカーというスポーツから逃げ出したことは事実だ。

そのような中田英を実績あるサッカー選手として尊敬するかどうかは、個々の判断に委ねられている。とはいうものの、筆者には、彼がサッカーに対して、ベッカムやフィーゴほどの情熱があるかどうかを疑っている。ベッカムやフィーゴには多額のオファーがあり、中田英にはなかったというのならば、サッカー選手としての中田英の実力もまた、世界レベルではなかったという傍証となる。中田英を“カリスマ化”しているのは、日本のマスコミだけ。 


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