お願いします。年末28日から今年の4日までチュニジアに観光旅行に行っていたため、年末年始のスポーツはまるで見ていない。年末の格闘技、サッカー天皇杯、高校サッカーと、いろいろなイベントがあったけれど、そんなわけで書くことができない。
さて、6日のA新聞の夕刊第一面をご覧になった方も多いと思う。スポーツ総合誌の2誌が廃刊となり、残る老舗のN誌も売れていないという。「スポーツ総合誌苦境」とその見出しは躍っていた。
A新聞によると、スポーツ総合誌の経営危機を招いたのがサッカーW杯ドイツ大会の惨敗だと分析されている。この現象を私流に換言すれば、「代表バブル」の崩壊となる。さらに、ネット普及の影響も揚げられている。
残念ながら筆者は老舗のN誌以外のスポーツ専門誌を読んだことがない。立ち読みくらいはしたことはあったかもしれないが、まるで印象がない。つまり、店頭においても、広告戦略においても、スポーツ総合誌としてパワーがなかったのが廃刊に追い込まれた第一の原因だろう。
老舗のN誌は独特の広告で人目を惹いたが、中味は薄かった。中田英、俊輔、高原、稲本、小野・・・らの「海外組」をダシにして日本代表が世界レベルであるかのように喧伝し続けたのがN誌だった。N誌がドイツ大会の惨敗をどこまで本気で分析したかは疑われるし、自誌の取材の至らなさを反省したかも疑問だ。威勢のいい見出し、スター選手への美辞麗句、中にはへそ曲がりの批判記事がないとは言えないが、スポーツ総合誌の編集の基本コンセプトは、スポーツ新聞と変わらない。むしろ、速報性がないだけ、媒体としてのパワーはスポーツ新聞より劣る。月刊というハンディを補う独自性として、理論性、文化性を前面に打ち出そうと試みたのかもしれないが、肝心の理論・文化が中途半端で魅力がないのだから、読者には受け入れられるはずがなかった。中田引退が痛手だというが、中田依存が永遠に続くわけもない。
筆者は、N誌も廃刊すべきだと思う。大手出版社が見栄で、赤字を許容するのは勝手だが、読者(市場)の評価に従ったほうがいい。現状の編集コンセプトでは客がついてこない、という現実を直視すべきではないのか。
独W杯の惨敗はスポーツ総合誌に直接の責任はない。けれど、ジーコ監督を“名監督”と評価し、かつ、海外組を“世界レベル”と誤報し続けた責任はある。日本で行われた“代表興行”の“勝利”を礼賛し続けた誤りは認めなければいけない。バブルがはじけて、スポーツジャーナリズムに黄昏が訪れた。当然のことだ。
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