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2006年09月27日(水) 「亀田的なもの」の危険が現実に

亀田3兄弟の次男・亀田大毅の試合後に、ファンが乱闘騒ぎを起こしたらしい。このような騒動が起きることは十分、予測できた。亀田親子はボクシングという格闘スポーツに暴力そのものを持ち込み、大衆の心に潜む暴力を喚起してきた。そして、きょうこの事件で、中途半端にボクシングを習った連中や格闘技に心得をもつ男達が亀田親子の「暴力性」に魅せられ、それを実行してしまった。筆者は、そうなることの危険性を当コラムで指摘したのだが、残念ながら、暴力事件となって顕現化してしまった。

亀田親子が醸し出す暴力性に魅せられた大衆が騒動を起こすきっかけは、いくらでも転がっている。たまたま、当事者の試合中に起きたにすぎない。このような事件は不幸なことではあるが、むしろ、関係者(亀田ファンを含めた)の間で起こったことは幸いだった。「幸い」とは、亀田的暴力性が街頭、職場、学校へ拡散する前に事件になったということを意味する。「亀田的」な暴力性とボクシングが今日、この日本において合体してしまったことは、格闘技界はもちろんのこと、あらゆるスポーツにとって、いや、荒廃が進む日本社会全体にとって、大いなるマイナスである。

「亀田的なもの」の台頭は、減量に苦しみながら新人戦からランカーとの対戦を経て、やっと日本ランキングに入ることができた若いボクサーに対して――、若いボクサーの挑戦を退け、自らの地位を守りながら世界を目指している中堅のボクサーに対して――、いや、すべてのボクサーが流してきた血と汗に対して――、リスペクトを欠いたものである。しかも、こうした「エセ=スポーツ」を脚色し、公的電波に乗せて日本中に流したのが、TBSというテレビ局であることが悲しい。

「亀田的なもの」を創出したTBSのあさはかな演出が、大衆が単純に心に抱くヒールへの憧れを増長させ、無意味な暴力を呼び起こす。ボクサー、いや、格闘技の心得のあるすべての者には、自己を厳しく律することが求められていた。このことは、武道の基本中の基本だった。

「亀田的なもの」の中心には、父であり、トレーナーを務める史郎氏がいる。彼は調印式や計量の場で、暴力を前面に押し出している。その見苦しさ、醜さ、危うさを、なぜ、「公器」TBSは気がつかないのだろうか。TBSは史郎トレーナーの「暴力」を演出効果だと勘違いしているのだろうか。ボクシング界がリング外に暴力を拡散させたら・・・それがいかに危険なことか・・・長年スポーツ中継をしてきたTBSがわからないわけがない。

TBSがマスコミとして、いまなお良心、常識を持っているのならば、「亀田的な演出」を即刻中止すべきである。そして、亀田3兄弟を普通のボクサーとして、日本ランカーと対戦させ、そのうえで、アジア、世界へと飛躍させるべきである。トレーナーにはトレーナーの仕事に専念をさせ、おかしな言動を慎むよう指導すべきである。それができなければ、“TBSは暴力を社会に広げようと図る、危険極まりないテレビ局である”と言わざるを得ない。


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