昨日(9月23日)共同通信が、トルコ1部リーグ、フェネルバフチェのジーコ監督の「危機」を配信、インターネット、新聞等のメディアが一斉にこの記事を報じた。筆者はトルコのサッカーについて何も知らないので、共同の記事を評価する情報・能力を持たない。だからひとまず、共同の配信を信じる。いかにも当然のことだと。
報道によると、ジーコ監督が率いるフェネルバフチェの成績は、リーグ戦6試合を終えて、4勝1分け1敗、勝ち点13で2位につけている。リーグ最多の16得点で失点6。立派な成績だが、地元メディアはジーコを「更迭すべきだ」と酷評している。
その理由は試合内容が悪いため。地元メディアは「戦術のない監督」「退屈極まりない試合」「1980年代のサッカー」「チームとしてのプレーがない」と批判する。
あれ、この言説はジーコが日本代表監督のとき、筆者がジーコ批判で展開したときのものと同じだな・・・
フェネルバフチェは、トルコリーグでいい成績を上げても、欧州で通じなければ評価されないらしい。なんでも、欧州での成功をクラブ創立100周年の目標とするというのだ。
思い出してみると、日本代表がアジアで勝ち進んだとき、日本のメディアは強い強いと大騒ぎをした。これなら、W杯も大丈夫といった具合だ。もちろん一部には、冷静にアジアにおけるジーコジャパンの戦いぶりを分析したサッカー評論家がいた。彼らは、ジーコの采配・戦術・戦略・選手選考等に疑問を呈してきたのだが、こうしたまともな声は、ジーコ礼賛一辺倒のメディアの大声にかき消されてしまっていた。
一方、トルコではリーグ戦で好成績を上げていても、その戦いぶりがモダンサッカーの本流から外れていれば、黙ってはいない。ここに、トルコと日本のサッカージャーナリズムの土壌の違いがある。
共同通信によると、クラブ幹部はジーコ監督更迭を否定するが、結果によっては去就に影響が出るのは間違いないという。
筆者は当コラム(2006年07月08日/「ダバディ氏を断固支持する」) で、ジーコのトルコにおける冒険は短い、と予言した。やっぱりか。
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