| 2006年09月07日(木) |
オシムは危機を乗り切った |
オシム監督が率いる新生日本代表がサウジアラビア、イエメンで苦戦した。日本代表各選手は中2〜3日でリーグ戦を戦った直後、サウジアラビアに渡り、サウジ、イエメンと中2日で戦うというハードスケジュール。こんな日程を組むなんて、日本代表に勝たなくてもいいと、いっているようなもの。日本サッカー協会、Jリーグの事務方はいったい何を考えているのだろうか。そんな中、案の定、日本はサウジに0−1で負け、イエメンに1−0で辛勝した。サウジに負けたことは大いに反省しなければいけないものの、この敗戦をプラスに考えたい。
スポーツ・ジャーナリストのU氏は、ジーコが率いた後の日本代表の状況を「焦土」に喩えた。トルシエが発掘し育て上げた日韓大会経験者の代表選手たちは、当時、才能に恵まれた若者達だったけれど、ドイツ大会ではベテランの域に達していた。彼らの力は、ピークと表現するよりも、落ち目と表現するほうが適正だった。筆者の予想通り、日本代表はドイツ大会で惨敗した。豪州、クロアチア、ブラジルとの3戦の彼らの戦い振りは、スタミナ、精神力において、4年前の輝きを失っていた。
思い出してみよう。日韓大会終了後、退任が決まったトルシエ(当時)監督はやや上気した表情で鼻を膨らませながら、4年後、日本代表選手が経験を積み、力をつけ、より強大な代表チームになると、まくし立てたものだ。それを聞いた国民、マスコミ関係者は、トルシエの言葉を信じ、4年後の日本代表の姿について、大きな期待を寄せた。成長した中田英、稲本、柳沢、高原、宮本らが4年後のドイツ大会で大活躍する姿を想像することは、大げさに言えば、国民的合意事項だった。
今年のドイツ大会、トルシエの予言はみごと外れてしまった。大会終了後、中心選手だった中田英は引退した。また、彼以外の主力選手も代表引退を表明した。ドイツ大会終了後、新監督(オシム)が受け継ぐべき遺産は見当たらない。この惨状を、前出のU氏は「焦土」と表現したわけだ。
わずか40日前、日本代表は、嵐の中を船出した。オシム船長は新しい才能を試しつつ、強行日程のアウエーでの公式戦を戦い抜くしかなかった。豊かな遺産を引き継いだジーコは、浪費の意図はないにしても結果的には補充をせず、日本代表を「焦土」と化した。ただ、日本のサッカーファンの多くがその事実に気づかなかったにすぎない。ジーコが率いた日本代表がW杯1次予選において、わずか勝点1で敗退するとは思ってもいなかったのだから。
40日後、オシムが率いた日本代表の黒星を見たマスコミは、鬼の首でもとったようにオシムを批判し始めた。アジアで負けるとは、オシムはジーコやトルシエ以下だと。代表チームが1回負けたたびごとに結果責任を問うていれば、代表チームの負け数だけ代表監督が必要となるだろう。
過剰な期待と礼賛、その反動としての非難、批判・・・プロスポーツファンには、結果を楽しむ権利があるのだから、結果について、自由な議論が許されている。代表監督批判はかまわないけれど、敗北や苦戦については、多角的に議論されるべきではないか。代表チームに係る評価は、最終目標から逆算して、現在を規定したほうがいい。換言すれば、現時点において、獲得すべき目標とその達成度という観点を代表評価の共通認識にしたほうがいい。
代表チームの大きな目標は、4年に1度のW杯だ。アジア杯で優勝できなかった韓国、イラン、サウジアラビアもドイツW杯に出場している。なかで韓国は、1次予選において、フランス、スイスと最後まで決勝T(トーナメント)進出を争ったのだが、韓国の戦い振りは、賞賛に値する内容だった。フランス、スイスは欧州の強豪として、ドイツ大会でひときわ輝きを放った好チームだった。韓国は決勝T進出こそ適わなかったものの、韓国国民は自国の代表チームの帰国を自国の誇りとして迎えたはずだ。
アジア杯など制する必要はない、というわけではない。アジア杯を通過点として、さらにその先を見通すことが重要なのだ。2006年、公式戦における日本代表にとって最も重要な事項の1つは、アジア杯の予選通過だ。予選通過において、1位、2位の優劣はない。昨日(9月7日)、インドがサウジアラビアに負けたことで、オシム監督と代表選手たちは、かつてないほどのハードスケジュールを無事、通過するという結果を残した。
さらに、日本代表にとって、公式戦以外に重要な事項は、若い代表候補に経験を積ませることだ。Jリーグの一戦、一戦をきっちりと戦うことはもちろんだけれど、国際親善試合、アジア杯等の公式戦を若手のために有効に生かすことではないか。
さらに、最も基本的にして重要な事項として、新監督のサッカー哲学をJリーガー、スタッフに浸透させることを挙げなければいけない。幸いにして、オシムの一語一語がマスコミから注目を浴び、日本社会に浸透を果たしている。図らずも、「考えて走るサッカー」は、日本人すべてが知るところのフレーズになった。
嵐の中を出航したオシム丸だが、どうやら、最初の危機を乗り切ったようだ。
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