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2006年07月22日(土) オシムは俊輔を評価するか?

オシムジャパンが正式に発足した。新たな船出だ。ジーコ前監督によって失われた4年間を取り返し、世界にキャッチアップしなければならないのだが、「日本丸」のマストは折れ、帆はボロボロ、船底には穴が空いている。オシム新監督はジーコジャパンを走らない車に喩えたけれど、筆者には、船底に水が溜まった沈没寸前の船のように思える。
就任会見は報道の通りであり、ここでは詳しく紹介しない。同業者のよしみで、ジーコジャパンを直接批判してはいないけれど、新監督の言葉の随所にジーコ路線の否定と批判が垣間見える。
筆者はオシムジャパンの航海の無事を祈るのみだ。そして、針路の吉凶を2つの指標から占うことができると思っている。1つは川淵会長の動向だ。近いうちに、オシム監督の敵が川淵会長であることが判明する。オシム監督が川淵会長に勝てば、「日本丸」の針路は順風満帆になろう。
もう1つは俊輔の扱いだ。ドイツ大会で俊輔は活躍できなかった。その理由が体調不良にあるのか彼のサッカースタイルが世界レベルで通用しないかどうかは議論が分かれるところだが、元監督のトルシエ氏は俊輔を選ばなかった。同じピッチ上に同じタイプの選手を立たせることができない。それが人数に制限のあるサッカーの公理だからだ。
『オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える 木村 元彦〔著〕』を読むと、オシム監督が旧ユーゴスラビア代表監督時代、ある人気選手の起用について苦労したことが書かれていた。オシム監督は世論に抗して持論を貫き、W杯でユーゴをベスト8に導いた。おそらく、近い将来、オシム監督は俊輔の扱いに苦労することになる。俊輔が実力と乖離した国民的アイドルだからだ。もちろん、俊輔起用を煽るのがスポーツマスコミである構図は、日韓大会当時と変わらない。
新しい日本代表のトップ下もしくは左サイドにだれが入るのかはまだわからない。オシム監督がスピードと攻撃性を代表選考の基準にしている以上、俊輔よりレギュラーに近い選手がいる。新監督が俊輔を外せばそのとき、マスコミは、オシム批判を大キャンペーンするに違いない。
「日本丸」の航路には難所が多い。川淵会長の商業主義、俊輔の取り扱いに代表される扇情的な日本のマスコミの攻撃・・・とりわけ、川淵・ジーコ体制の4年間の代表ブランドでたっぷり稼いだ甘い蜜の味が忘れられないサッカー協会にとって、オシム監督の純粋・ガチンコ路線が煙たくなることは目に見えている。オシム監督はジーコ前監督のように、協会が簡単にコントロールできる人間ではない。それは、『オシムの言葉』を読めばすぐ理解できる。同書は人気サッカー選手とスポーツライターの共作で書かれた「スポーツ本」とは違う。ある意味で、旧ユーゴスラビアの内戦の記録であり、政治とサッカー、民族主義とスポーツの関係に言及した内容になっている。同書に描かれたオシム氏の体験は、日本人に理解できないほど複雑で困難なものだった。同書は“スポーツもの”の枠を越えた、現代史の記述に通じるものがある。チトー時代のユーゴスラビアを社会主義の理想国家と規定した社会主義者も存在した。そのユーゴがいったいなぜ、あのような悲惨な内乱状態に陥らなければならなかったのか。内乱直前の「ユーゴスラビア代表」というものが想像を越えた複雑な国家代表であり、それを束ねる代表監督にどのようなプレッシャーがかかるものなのか、60年以上平和を保っている日本人には理解しがたいところだ。代表サポーターのみならず、サッカーファンには、『オシムの言葉』を読んでいただきたい。同書から、世界の一端が垣間見えるかもしれないのだ。人生、世界、社会、人間・・・サッカーは人生に似ているといったのもオシム氏だが、サッカーが国家、民族、イデオロギーを背負うこともある。サッカーが文化、すなわち人間だからだ。そして、その渦中にオシム氏を含む旧ユーゴ国民が、幸か不幸か存在してしまった。
さて、その経緯の是非は別として、このたび日本代表がオシム監督の指揮下に入ったことは、筆者にとって幸運だった。筆者は、オシム監督が今年を最後に千葉から離れると思っていたからだ。そうなれば、オシムサッカーは日本から消える。代表監督になったことで、とにかく、あと4年はオシムサッカーが楽しめる。当コラムにおいて、ジーコジャパンとは違った角度で、オシムジャパンを取り上げる機会が増えそうだ。そのためにも、オシム監督には前出の2つの難所をぜひとも無事に通過してもらわねばならない。


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