Sports Enthusiast_1

2006年07月21日(金) テレビが日本サッカーを破壊する

ジーコジャパンの特集番組を見た。久米宏がキャスターを務めていた。期待外れだった。なぜ、失敗を成功にすりかえるのか。その意図が筆者にはわからない。スポンサーはキリンだった。日本がドイツで負けた理由は、番組が終わっても不明なままだった。日本代表サッカーが芸能化したことの弊害については、当コラムで何度も書いた。この場に及んで、まだジーコ路線を礼賛する、その根拠が理解できない。
ジーコが掲げた自由、自主性、楽しさ・・・結果を問わないスポーツは、アマチュアのそれ、同好会だ。楽しいサッカーを目指したければ、プロになってはいけない。結果が問われなければ、技術の向上はない、個人の力量もチーム力も上がらない。日本代表は負けてもいいんだ、いい試合をしてくれればいいんだ、サッカーを通じて友好や親善が図れればいいんだ・・・というのであれば、それはスポーツ文化ではない。真剣勝負を通じてしか、ハイレベルのパフォーマンスは実現されない。
さて、この番組から筆者は1つの確信を得た。ジーコの役割は1990年代の住友金属⇒鹿島アントラーズの誕生で終わっていたということだ。ジーコが鹿島で果たした役割を否定するつもりはない。鹿島はおそらく、ジーコのおかげでJリーグのクラブの中でいまなお、強豪として生き残っているのだろう。
仮に、ジーコが鹿島の仕事の延長線上に代表監督の仕事をイメージしていたとしたら・・・当番組を見た限りにおいて、ジーコは鹿島で培った自分のノウハウが代表監督としても通じると考えたようだ。W杯におけるジーコジャパンの失敗はもしかしたら、ジーコの鹿島での成功に起因しているのではないか・・・ジーコにとっても、日本代表にとっても、成功の裡に悲劇が内在化されていたとしたら・・・
プロスポーツ選手は残酷なものだ。内なるライバル、外の敵と戦わなければいけない。勝つことが義務づけられている。ジーコは自分が気に入った選手を切れなかった。新しい戦力の台頭にも目をつぶった。「ファミリー」で勝ちすすめると楽観的だった。ぬるい、ゆるい、脆弱な、ヘナヘナ代表チームが元監督の遺産でアジア予選を勝ち抜き、ドイツ大会でぺしゃんこにされた。そこに目を向けなければ、日本代表は強くなれない。


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