| 2006年07月08日(土) |
ダバディ氏を断固支持する |
◎ダバディ氏に同感
トルシエ元代表監督の通訳を務めたダバディ氏が川淵キャプテンを批判した。今朝のA新聞を読んだ人も多いと思う。ダバディ氏はサッカー協会会長に立候補するという。もちろん、ダバディ氏の皮肉だけれど。 さて、筆者はこの論文のなかに興味深い記述を見つけた。トルシエ氏が代表監督時代、彼はサッカー協会と深刻に対立したようだ。トルシエ氏が代表監督に就任した当時、日本ではW杯開催を控え、空前の「代表ブーム」が沸きあがっていた。それを商売に利用しようとしたのが川淵氏であり、それに反発したのがトルシエ氏だった。ダバディ氏は、同論文の中でトルシエ氏が代表の芸能化に反対し、会議の席を立ったエピソードを紹介している。 そして、4年後のドイツ大会、日本ではやはり「代表ブーム」が沸きあがったのだが、それを最大限商売に結びつけたのが川淵・ジーコ体制だった。結果はご覧のとおり、日本代表選手は芸能化し、闘争心は萎え、弱体化した。 ダバディ氏の論旨は、当たり前のサッカー文化の日本における定着だ。筆者は氏の主張を全面的に支持する。協会が目論む代表芸能化路線に反対する。 日本サッカーは今後、テレビ局が持ちかける芸能路線に厳しく対立してほしい。サッカーはスポーツであって、それだけで楽しめるに十分な文化なのだ。サッカーはサッカーであって、それで十分面白い。サッカーにサッカー以外の要素が混入することを望まない。
◎ジーコ氏のトルコでの冒険は短い予感
日本代表を弱体化させた川淵・ジーコ体制の一方の核、ジーコ氏が6日、監督就任の打診を受けていたトルコリーグ・フェネルバチェと、イスタンブールで正式に2年契約を結んだ。 ジーコ氏が再就職に成功したわけだから、おめでたい話だ。それについて文句をつける話ではない。しかも、筆者はトルコのサッカー界について何も知らない。報道によると、フェネルバチェはトルコリーグの名門で、毎年、優勝戦線にからむ強豪だという。イスタンブールにはもう1つ、ガラタサライという強豪クラブがあり、フェネルバチェとライバル関係にあるらしい。 トルコでサッカーを観戦した知人H君の話を紹介しておこう。H君はイスタンブールのとあるスタジアムの立見席で観戦した。周りの観客は100%男性でスタジアムはきれいとはいえない。ホームチームのチャンスでは観客が興奮して肩と肩がぶつかりあう。相手に対するブーイングも相当なもので、トルコのサッカー場はいってみれば、殺伐としていて、その中の観客は殺気立っているという。のんびりと家族・友達同士で楽しくサッカー観戦という雰囲気ではなかったというのだ。知人のたった一回のトルコにおけるサッカー観戦体験を普遍化することはできないのだけれど、もしかしたら、トルコリーグのスタジアムは「殺伐」としていて「殺気立っている」ところが多いのかもしれない。 筆者はジーコ氏がトルコで監督として成功してほしいと祈念しているけれど、ジーコ氏のトルコにおける冒険は、おそらく、短期間で終わるような気がしてならない。フェネルバチェのクラブ及びサポーターは、日本サッカー協会や日本代表サポーターほど寛容ではないと思うからだ。 トルコリーグはJリーグより激しいらしい。そのような環境において、ジーコ氏が自分の理想とするサッカーを貫けるのか、また、氏の理念が認められるのか、そして、結果に結びつくのか、ということになるのだが、それらのどれにも疑問符がつく。
◎ジーコ氏退任会見のお粗末さ
遡って、ジーコ氏の退任会見におけるコメントをちょっと長いが抜粋しておこう。ジーコ氏は日本を発つ直前、ドイツで敗れた日本代表について次のように総括した。 「大会で感じたのは、(相手チームとの)体格差だった。フィジカルの強い相手とやるときに、90分間通して相手の攻撃に耐えられるようにならなければ。ただし、これは個人個人の問題というより、若い時から鍛える必要がある問題だ。そういう環境がなかった(今の)代表の選手たちは彼らなりに精いっぱいやったが、その体格差の壁を越えることができなかった。世界と対等に戦うためには、そういう部分もこれから考えていかなければならないと思う。(中略)オーストラリア戦が終わった後に宮本と話をしたが、『1試合とは思えないほど疲れた』と言っていた。というのも、相手がロングボールを入れてきたときに体を当てたり、相手のバランスを崩すためにジャンプが必要になるが、それを異常な回数繰り返したためにふくらはぎに負担がかかって、尋常ではない疲れとなったようだ。世界のサッカーは、日本に対して足元でかなわなければ、絶対に体格差で上回ろうという戦術を取ってくるはず。こういった面の予防や、ジャンプに必要な筋力を鍛えることが必要だ」 ドイツ大会の敗因を体力差だと断言するジーコ氏に、集まった記者の間から失笑がもれたという報道があった。体格差なんてやる前からわかっていたことだ。それを跳ね返す強化策を施すのが代表監督の仕事だろう。こんなお粗末な敗北総括をする代表監督を知らない。いまになっては遅いけれど、ジーコ氏を代表監督に就任させた川淵キャプテンの責任が改めて問われる。 筆者の独断と偏見でいえば、ジーコ氏は、日本人、日本サッカー界を馬鹿にしていたのだと思う。馬鹿にしていないのでなければ、相当、頭の中が壊れている。プロの代表監督がこんな総括を真面目な顔でコメントするはずがない。そのお粗末さに恐れ入る。素人同然の代表監督に対して、日本のサッカー協会は破格のギャラを支払っていたことになる。 マスコミが華々しく持ち上げ、結果において化けの皮が剥がれた人物としては、産業界ではLD社のH社長、MFのM社長が挙げられけれど、スポーツ界ではジーコ氏がそれを代表する。 筆者は、これまでの4年間、ジーコ氏の代表監督の手腕に疑問を抱き、その批判を続けてきた。ジーコ氏の抽象的強化テーマの自主性、創造性、自由・・・について、そんなプランではだめだ、と書いてきたし、無論、ドイツ大会では予選リーグ敗退を予想した。そして、残念ながら、予選リーグ3戦において、日本国民の期待は裏切られてしまった。 大会中、日本代表次期代表監督の就任に話が及び、川淵キャプテンの常軌を逸した「オシム」発言があり、サッカー界は混乱した。日本サッカー界を健全化するためには、川淵氏の退任が望ましい。川淵氏に自浄作用を求めることはもはや、不可能なのだから。
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