妄言読書日記
ブログ版
※ネタバレしています
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| 2008年05月13日(火) |
『喪男の哲学史』(他) |
【本田透 講談社】
表紙、沙村広明だったのか。
喪男(モダン)とは「もてない男」であり、本書の定義ではさらに「もてることを拒否する男」なんだそうです。 インターネット用語ですが(有体に言うと2ch用語) 私もネットを徘徊してそれなりに長いので、文中の用語はそれなりに理解できますが、普通に哲学本として読もうとした人はどうかな、という部分も多々。 まあ、でもそういう人を対象にはしてないであろう本なのでいいのかもしれない。
内容はブッダから現代の茂木先生まで、「哲学というのはもてない苦悩から生まれるんだ」という視点に則って、時代に沿って哲学者たちの思想を追っています。 正直、冒頭の数ページでアホらしくなって読むのやめようかなと思ったのですが、途中で我にかえるかもしれないし、それに大真面目かつ執念と情熱でもって自分の土俵で哲学を語ってるあたりに敬意を表して読み通しました。 私としては哲学入門書を探してたのですが、明らかに間違えた。 モテないことと萌についてひたすら我田引水に語ってます。
著者は負け組みが何を言っても「そんなのはルサンチマンにすぎない」と否定されるのは違うという旨述べているのだけれど、モテないルサンチマンというか女に対するルサンチマン以外のなにものでもない本書。 (脚注が多いのに索引がなくて不便だ) フェミニストが読んだら怒るぞ、と思うのだが・・・。 まあ、あまり女性評が的を射ていないから対して腹も立たないかもしれない。 P27脚注に「(著者がモテないのは)日本の若い女どもがプラトンもニーチェも知らない愚か者だからです」と書いてみたり、全編にわたってモテない嘆きを書きながらも、肝心なときはいつもモテを拒否すべし、モテても救われないんだと綴る。
そこまでわかってるんなら、癒されようとしなければいいのに・・・。 癒しとか赦しとか救済とか全部、拒否すればいいのに。 恋愛至上主義を否定しながら、二次元への萌を推奨する。 著者は特別、女性に対して嫌な思い出が多々あるらしいのですが、『電波男』を読んでいないので詳細はよくわからない。
またモテの定義もされてないのでどういう状況を想定しているのかわかりにくいところがある。 単純に異性に好意を持たれたり恋愛対象として見られること、としてとらえてたのだけど、そのほかに異性に限らず他者に好意をもたれること、イケてる状況全般もさしてたように感じた。 喪男な哲学者や思想家がたまにモテても、それでも喪男は喪男と書いてみたりと強引な解釈も見られる。 どうでもいいけど、ギリシャ時代のショタはおもいっきり肉欲を伴ってたと思うよ・・・。むしろショタを認めさせるための論理だったんじゃないの。 第三章まではだめ男という観点から見る哲学史みたいで、だめ男好きとしては楽しかったのだけど、三章からは筆者の主張が強く出てきすぎて脱線しがち。
自分より下を見つけて優越感を持つことをよしとしないといいながらも、ところどころにイケメンじゃないけど、喪男なオタクでもない、ふつーの哲学書なんて読まない人への軽視が見られて、おいおいキミ・・・人間が小さいよと思った。 全編にわたってなんとも腹が立たないのはただただかわいそうだからだったと思う。 まったく望んではいないだろうけど、現実世界で菩薩のような女性に出会うといいですね、と言いたくなる。
哲学史はわかったようなわからないような、でしたが、とりあえず『ローゼンメイデン』と『ガン×ソード』『最強伝説黒沢』を読んだらいいということと、キモオタがなにゆえキモがられるのかはわかりました。 三次元の女性を徹底的に排除し、セックスを不純のものとして、二次元の女性キャラを理想として萌ながらも結局性欲の対象にしてるんじゃねーかよ、という部分がキモがられるうえに、蔑まされるんだと思いますよ。 二次元って結局、哲学上の二次元世界じゃなくて、ただのシュミレーションゲームであり、都合よく書かれたものであり、自分にとってはなんの害も与えないものにしか癒されないっていう幼稚な印象が拭いがたい。
哲学と引っ張り出して正当性を主張するなら、女という形すら取っていない脳内にしか存在しない観念を自分で作り出して美のイデアとすることを目標にしたらいいんではないですか。 女という形すら捨てたものというより、脳内にあるのだから形すらいらないでしょう。 そんなの生み出せたら仙人でしょうけど。
喪男というアイデンティティをいったいいつまで持ってられるのでしょうね。本田透は。 滝本竜彦だって結婚しちゃったし。 モテないならモテないで、うまく小説として昇華すればよかったのにと、森見登美彦『四畳半神話大系』を読みつつ思う(森見くんがモテないのかどうかは知らないが)
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